藤城清治(ふじしろせいじ)さんは2024年4月に100歳を迎えた芸術家です。
影絵作家としてても有名ですね。100歳とはごりっぱですね。
でも藤城さんがすごいのはその長寿だけではありません。
現在もなお、現役で芸術家のお仕事をたのしんでいらっしゃるということです。
100歳で、イキイキと生きるよろこび、それを作品からも表現されているのです。
藤城さんの影絵はどのように作っているのでしょうか?
数々の作品をみると、藤城清治さんの影絵が簡単に出来上がるようには到底思いませんが、
どうやったらあのようなきれいな作品ができるのでしょうか?
わかりやすく説明していきます。
藤城清治の影絵はどうやったら作れるの?
影絵の基本は、下絵を描いて、カッターで絵を切り抜き、セロファンのようなものを後ろにつけて出来上がり。
後ろから照明を照らす。
そうすることで影絵ができます。
基本はそうでも、藤城さんの作品のようなあの生き生きとした素晴らしい絵になるにはどうしたらいいのでそうか?
藤城さんがNHKの番組の中で重要なことをおっしゃっていました。
藤城さんは、カッティングの大半に方刃のカミソリの刃を使っています。
絵を切り抜く際にカッターではなく、カミソリを使っているということですね。
カミソリを使うことにより、鋭く優しい、生命が存在するような独特美しい線が生まれるそうです。
そして、藤城さんの作品の魅力は、なんといっても繊細な色使いです。
机の横の引き出しには、500色以上のフィルターが入っています。
それらを組み合わせ、重ねたり、時にはカミソリで表面を削って色の調整をしたりして、表現しています。
カミソリの刃を直接手で持って、勢いよく切るのも藤城さん流で
躍動感が出るといいます。
ただ、当たり前のことですが
藤城清治さんの影絵は藤城さん独特のものですから、なかなか藤城清治さんのような影絵は作れないと思います。
藤城清治さんの影絵の作り方は東京書籍の「藤城清治 影絵の世界 シルエット・アート 作品とその技法」という本に詳しく説明されているようです。
この本を入手されることが近道かもしれません。但し、現在この本は絶版状態で入手は難しいでした。。
藤城清治 どうやって影絵を始めたのか プロフィールにも注目
藤城さんの独特なセンスは様々な作品から見られますが、
どうして影絵を造ることにしたのでしょうか?
プロフィールから見ていきます。
1924年東京生まれ…. 慶応義塾大経済学部卒
とあります。芸術関係のご出身かと思いきや、出身は慶應だったのですね!
そこで影絵も学ぶきっかけがあったのでしょうか?
慶応普通部に入り、仙波均平氏に絵とエッチングを習う。
慶應普通部ということは、中学から慶應ということですね。
仙波均平さんも、慶應普通部出身の先輩のようです。
最初はこの方から絵を学んだのですね。
先輩から学んでいる、お互いにほど独学といってもいいでしょうね。
慶応大学予科(高校)では、猪熊弦一郎・脇田和氏に師事。
慶應義塾高校に進まれたということですね。
ただ、今回は学校の先輩ではなく、さすがに学校の授業で芸術深めたわけではないですね。
猪熊さんは、現東京芸術大学のご出身、脇田さんは、ベルリリン国立大学美術を学んだ画家ですので、
学校外で芸能の才能を深められるきっかけがあったのですね。
学生時代から人形劇などを演じていたが終戦後大学に復学し、絵画と人形劇の制作活動に励む。
この頃アジアの影絵芝居に出会い創作活動に大きな影響を及ぼす。
学生時代から、人形劇には興味があったようですが、
重要なのは、藤城さんがこの戦時中を体験しているということが、影絵の世界にはいってこられたきかっけになってるようです。
なぜならは, NHKインタビューにこのように答えていました。
「戦争が終わっても絵の具がなかなか入らなかったんですよ。影絵は、光と影でできるっていうのでやったのが一番最初です。太陽があれば、月があれば、ろうそくの光があれば、自然の光でもって何かを表現していく。そこに美しさ、一筋の光を求めて何かを作っていこうと」
終戦後、東京の焼け野原を目の前にして、がれきに差し込んだ太陽の光と、影。
その美しさから、影絵への手がかりを見出だそうとされていた。
日用の物資もままならない現実から、絵具とは高級品でしょう。
絵具には恵まれていかったけど、でも絵や、色を塗る事で表現はできなくても、なにかできることを形に残したい、そうした思いが伝わってきます。だから藤城さんの作品は、影絵といいながら、温かみのある光輝く影絵なのですね。
藤城清治 どうやって影絵で生きる喜びを表現しているか
藤城清治の有名な作品の一つに「生きる喜び」(1995年)があります。
2024年で100歳になられる前に、いきるよろこび」という題名の作品を書いていたのですね。
これはご自身の100歳の生きる喜びとは異なっていることが分かります。
どの様な生きる喜びを表しているのでしょうか?
それは、戦争と平和のことだとわかります。
NHKインタビューでこのように答えています。
「戦争というものをなるべく忘れようとしてたんだけども、少し時間がたつほど戦争というものをもっと考えなきゃいけないんじゃないかと思った。原爆についても、当初は自分の楽しいものを描くということを考えていたけど、そういうものじゃないと。もっと記録しなきゃいけないと思うようになった」
先日私が栃木県那須高原にでかけたとき、旅館に「愛と平和の祈り」という藤城清治の作品集兼文集がありまして、その本の中で、藤城さんが戦争について初めて描くことにした影絵の紹介もありました。
栃木県那須郡にも藤城清治美術館があるので、その本が旅館にも置かれていたのだと思います。
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