別所哲也。俳優の別所哲也さんといえば、ラジオでも活躍中です。
別所哲也さんのラジオといえば、J-wave平日朝6時から9時までの東京モーニングラジオ。
別所さんはこの朝の番組で「ご機嫌は自分でつくるもの」とよく言われます。
特に印象的だったのは、別所さんがこの言葉を「舞台の本番前」など、自分を整えるべき大事なタイミングでも意識されているのです。
プロフェッショナルの世界にいる人こそ、どんな状況でも“自分のご機嫌”を保てるかどうかが、パフォーマンスに直結するのでしょう。
さて、このように、ラジオでも、舞台でも、俳優としても活躍し続けている別所さん。
いったいどんな経歴をおもちなのでしょうか?徹底解説していきます!
1.別所哲也の学歴や趣味
別所哲也さんは1965年8月生まれ、静岡県出身です。
身長186センチのA型。趣味は英語と、NFL観戦とも明かすアメリカンフットボールファン。
高校時代までは静岡県で過ごし、高校はサッカーで有名な静岡県立藤枝東高校です。

ちなみに中山雅史サッカー元日本代表が、こちらの高校出身ですね!
進学校に入れたのですから、高校受験をした中学時代から、かなり学力が高かった人、だと思われます。
また、大学は東京に進まれて、慶應義塾大学の法学部をご卒業されています。
俳優業だけでなく、学業もしっかりとされていたようですね!

別所さんはアメフト好きで慶應出身なのね!
アメフト(アメリカンフットボール)が好きで慶應出身と言えば、
別所さんが不在の時にラジオパーソナリティの代行をたびたび務めていた銅冶勇人(どうやゆうと)さん。
銅冶さんも慶應出身で、高校と大学の両方でアメフト部に入っていた方なんですよね。
銅冶さんは、現在アフリカの社会をよくすること、を手掛けていらっしゃいます。
別所さんの座右の銘には、アフリカのことわざあるのです。
そのことも共通項なのかもしれません。
別所さんと、銅冶さんは、経歴だけでなく趣味など共通点ある
だからこそ信頼できて、別所さんが銅冶さんに代行をお願いしたのかもしれませんね!
ラジオを聞いていると、別所さんも銅冶さんも、世界規模をこえて、地球規模で来ている人な印象をうけます。
みなさんはどう思われますか?
銅冶勇人さん:株式会社DOYA代表取締役社長
東京生まれ。2008年、慶應義塾大学経済学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。2010年特定非営利活動法人Doooooooo創立。2014年同証券会社を退職し、翌年株式会社DOYA創立。同年9月アパレルブランドCLOUDY創設。
(Everything Has A Story インタビュー記事より)
2.別所哲也の経歴・芸能界デビューと現在
別所哲也さんが慶應義塾大学に入学したのは1987 年です。
卒業が1991年です。
芸能界進出のきっかけは、ちょうど大学入学した年の1987年で、ミュージカル「ファンタスティック」でのデビューでした。
さらに同年「あぶない刑事」(あぶないデカ)初出演デビューしています。

ちょっとまって!入学と同じ年に芸能デビューまでてきたってすごくないか?!「危ない刑事」は当時の人気番組だし。
そうです。
慶應大学の入学と同じ年に、芸能界デビューを果たした。
人気番組への初出演も果たした。
ドラマ「危ない刑事」で、刑事役の舘ひろしさん、柴田恭兵さんらの名優先輩方に、命令され走りまくるだけの若者部下役でしたが、実は別所さん自体もすごい人だったといえますね。
初出演で、刑事の部下役で、セリフも動きもあったとは、そのことだけでもすごいと思います。
慶應出身の芸能人はわりといるのですが大学入学と同時にデビューって、あまりきいたことがありませんね。
ちなみに例えば慶應出身の石坂浩二さん、櫻井翔さん、二階堂ふみさんらも、慶應大学入学前にデビューされています。
ふかわりょうさんは、慶應にはいってからの20歳の時にデビューされていますが、入学と同時ではないようです。
大学入学と芸能デビューとの、新しい大きい事を同時に初めて花開いているとは、
まさに二足の草鞋を履ける方ですね。
その後まだ在学中の1990年に映画「クライシス2050」でハリウッドデビューしています。
内在学中に海外でもデビューもするなんてすごいわ。

ちょっと待って、ハリウッドっていうけど、そもそも英語話せたのかしら?
はい。
大学で、慶應の英会話の同好会にはいっていたので、海外進出前に英語は趣味としても鍛えていたようです。
また、別所哲也さんは海外留学の経験は一度もないと語られています。
留学していなくてもハリウッドで活躍できる力、英語力ももてる、ことを証明してくださっているように思います。
その後のテレビでは、「波の数だけだ抱きしめて」や映画の「ゴジラ VS モスラ」「URTLAMAN」、ミュージカルの「レ・ミゼラブル」「ミスサイゴン」で活躍されています。
また、現在でも俳優活動を続けておられますね。
ハリウッドレビューをされたことで、現在は、米国俳優協会(SAG)の会員となられたことから、ショートショートフィルムフェスティバルこと国際短編映画祭の代表も務めらえています。
米国で出会った「ショートフィルム」を、新しい映像ジャンルとして日本に紹介したいとの想いから1999年にアメリカン・ショート・ショートフィルムフェスティバル創立。
2001年には名称を「ショートショート フィルムフェスティバル(SSFF)」とし、2004年に米国アカデミー賞公認映画祭に認定されました。(SSFF & ASIA 2025日韓国交正常化60周年記念記念祭より)
プライベートでは、2009年に日系アメリカ人で企業役員の女性と御結婚をされています。

英語力を維持しているのは、奥さんの影響もあるのかな。
プライベートでも英語を使っている別所さん。
いくつのものを挑戦し、努力を惜しまない。
迷いなく挑戦し続けることには、ブレない何かがないといけません。
そんなことを自然に全うされてきた別所哲也さん。
別所哲也さんは、ご自身のご機嫌を自分でうまくとってきて、だからこそ多彩ですばらしい経歴を積み上げてこられたのですね。
3.別所哲也経歴と活躍のまとめ
✅ラジオはJ-waveの平日朝6時から9時までの東京モーニングラジオで、
「ご機嫌は自分でつくるもの」を伝えている
✅ 別所さんは地元静岡の進学校から慶應義塾大学法学部に入学し4年間で卒業
✅ ラジオ代行した銅冶さんも慶應出身
アメフトの趣味やアフリカへの関心は別所さんとの共通
✅別所さんは慶應に入学した年に芸能界進出、ハリウッドデビューも果たした
✅別所さんの凄さは、慶應大学入学と同時に芸能界デビューをしたことにもある
続いて在学中にハリウッドデビューもしている
✅ 1999年に「ショートショート フィルムフェスティバル(SSFF)」を創立し、 2004年に米国アカデミー賞公認映画祭に認定され現在に至る
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