大人気漫画「NARUTO-ナルト-」の中で、“デイダラ”という登場人物がいて、人気を集めています。彼は芸術家(起爆粘土造形家)です。彼がよくいうセリフに、「芸術は爆発だァ~!!」というのがありますが
これはどんな意味で言っているのでしょうか?
デイダラの芸術は爆発だ!の元ネタはCMのキャッチコピー
さて、デイダラが「芸術は爆発だ」とよく叫びますが、この言葉元々はどこから来たのか?という話です。
実はこの「芸術は爆発だ」の言葉の元ネタは、1981年にさかのぼります。
当時のテレビCMからです。
日立のマクセルというビデオテープのCMがありました。
これは、ビデオ・カセットの録画品質を宣伝するCMで、芸術家の岡本太郎さんが出演していたのです。そこで岡本太郎さんが、「芸術は爆発だ!」というフレーズを放っていた。
それがなんと、CMの内容を離れて世間の耳目を集めていき、
いわゆる流行の言葉として広がり、
1986年には、「新語・流行語大賞」を受賞したのです。
このころの流行語が今にも繋がり人気アニメにも取り入れられるというのは、影響力がありますね。
さて次に、「芸術は爆発だ」は、岡本太郎さん自身がよく話した言葉だったのか、それともCMでの演出のためにこの言葉を放ったのか?気になりますね。
調べてみました。
「爆発」そのものは、岡本太郎さんが活動の初期から話されていたという記録が数々ありました。岡本太郎は、子どもの頃から胸の奥に神聖な火が燃えているといい、それが宇宙に向かって無条件に開くことが「爆発」であり、その結果として生まれるのが時に芸術であり、岡本太郎という生き方だと語っています。
『自分の中に毒を持て∼あなたは“常識人間”を 捨てられるか∼』青春出版社 1993 年
でも、彼の名言として記録されています。
また、川崎市岡本太郎美術館のサイトでも、太郎の名言として、一番大きな文字で紹介されています。
「芸術は爆発だ」は、岡本太郎さん自身がおっしゃった言葉である、といえるでしょう。
そして、元気がでることばですね。岡本太郎さんがとても「ライブな存在」に感じます。
デイダラが芸術は爆発だ!と叫ぶシーンをおさらい
さて、NARUTOのデイダラは、粘土造形を得意とするアーティストであり、彼曰く「芸術は爆発だ」「クール=アート」。
彼にとっての芸術は「儚く散りゆく一瞬の美」。
粘土造形自体は洗練された良いデザインですが、彼にとっての芸術の真骨頂はそれらを用いた爆発にあるため、彼の芸術理念を解する者はまだ一人も居ないのですよね。
両手の平にある口で喰った粘土と自身のチャクラを混ぜて作った「起爆粘土」を用います。
これにより様々な造形品を作り、「喝」の掛け声か接触で起爆させています。
そのままにしておけば粘土ですから、せっかく作った作品を、朽ちなく永遠に残すことができるのに、でもデイダラは爆発させて終わらせてしまうのですよね。
NARUTO -ナルト-のオフィシャルサイトも確認しました。
『NARUTO -ナルト-』第40巻362話「究極芸術!!」で、 過去のイタチと同じように、自分の芸術を無視する態度にデイダラはついに声を張り上げて「芸術は爆発だぁ!!」叫ぶシーンがあり、印象的です。
あと、「オイラはその一瞬の昇華にこそアートを感じてならない!うん!芸術は爆発なのだァァ!!」と第39巻359話「その眼..!!」でも言っています。
また他の言葉ですが、
「芸術家というのは常に新しい刺激を求めていないと感性が鈍っちまうんですよ」(NARUTO 30巻)
常に新しい物を求めていかないと芸術は成り立たない、ということ事だと思います。
「ポップは死んだ!オイラのはスーパーフラットだ!」(NARUTO39巻)
従来のものや既存のものを「そのまま受け継ぐ」ことは望ましくないといっているようです。
また、死(土影のお供をしているアカツチに対して)
「相変わらず土影にベタベタくっつきやがって!」 (54巻)とか。
「常に自発性なしに従うこと」に、嫌悪感のような感情をいだいているような、そのような言葉選びです。
デイダラは粘土アートを爆発させて終わらせてしまう。 それはまるで、生きるモノの一生・・人生のようでもあるかもしれない。
人生は永遠ではなく、有限なものです。それでも人が死んでいくときに、「自分はここに在るんだ、在ったのだ、自分はこれで生きた」とその存在を力強くアピールできるか? その確かな証があったほうがいいそれを「爆発」によって時に刻み込む・・・それがデイダラのアートなのかもしれませんね。
芸術は爆発だの元ネタ/岡本太郎とは?
岡本太郎さんは、お父様は画家で漫画家の岡本一平さん、お母様は歌人の岡本かの子さんとの間のご長男として生まれになったそうです。
ご両親からの影響を考えると、岡本太郎さんは、幼い事から芸術に興味があったのでしょうか?
調べてみました。
岡本太郎。(1911~1996年)
1911年神奈川県生まれ。画家、造形作家。
小学校時代は、公立学校になじめず、2回の転校の後に1918年、慶應幼稚舎に入学。そのあと18歳でパリに渡り、民俗学や心理学なども学びながら試行錯誤。帰国後に徴兵されて戦地にもいかれます。戦後は、ちょい色彩のダイナミックな作風を確立し、彫刻、グラフィックデザインなど多彩に活躍しました。1970年の大阪万博のシンボルとなった巨大モニュメント「太陽の塔」が特に有名。「芸術は爆発だ」という言葉でも知られています。(福澤諭吉が分かる 朝日新聞社毎日ムックより)
とあります。
小学校を2回の転校後に、慶應幼稚舎に入学というと、
慶應の小学校に編入できたということですね。
なにかきっかけがあったのでしょうか?
それというのは実は、お母様岡本かの子さんのなんと愛人さんからの、「慶應幼稚舎は自由主義だから、太郎にあうんじゃないか」という言葉だったそうです。
入学後、岡本太郎さんは、とても「筋のとおった」担任の先生との出会いに恵まれ、慶應幼稚舎を卒業した、とあります。
その後付属の中学である慶應義塾普通部に進んでいかれ、
1929年3月慶應義塾普通部を卒業、
4月から東京美術学校に(現)東京芸術大学)西洋画科に入学
同年1月に、18歳でパリに行きます。
お父様が渡欧することがきかっけで、家族みんなで行くことになったのです。
1929年~1940年の間、パリで唯一の日本人として、民族学・心理学を主に学びました
1940年、30歳、日本に帰国、展覧会も数々開きます。
1941年には中国に出征していきます。
1946年、35歳で日本帰国、
1952年、縄文土器の発見から芸術作品として衝撃を受けられた、とあります。
文部省(現 文部科学省)に、小学校の社会科の教科書に縄文土器の写真を載せた方がいい、という提案をしたそうですよ。
縄文土器を多くの人が知っていく、そんなきっかけを作ってくれた方なのですね。
1967年、56歳、日本万博博覧会(万博)のテーマ展示プロデューサーに就任。
1970年、59歳, 太陽の塔の完成、同年「日本人は爆発しなければならない」というテーマでの対談を泉靖一さんと行う。
1996年に急性呼吸不全でなくなる。
このように、既存のものに留まることなく、何かを新しく発見したり、作り出だして、国内外で高い評価を得て、影響を与えてくれている、そんな方なのだと思えますね。
「芸術は爆発だ!」はデイダラ・岡本太郎の名言
『芸術は爆発だ!』において、岡本太郎の場合は自身のうちなる精神性の爆発を指しており、実際にデイダラのように爆発したり、させたりする行動までいくことではないのです。
しかし共通点はありそうです。一緒に順番にみていきましょう。
一つ、言葉の面では瞬間的に沸き起こる自分の気持ちを見逃さないで、自分と戦っていく目線があること、が言えるのではないでしょうか?
デイダラは、その瞬間瞬間を大事に生きていて
何かを継続しなければならないとか、条件的な事に縛られない、美的感覚というのはそこじゃない、ということを言葉や、爆発させる行動で示しているわけです。
また岡本太郎は、1993年に出版した「自分の中に毒を持て~」の本の中で、自分との闘いについてこのように述べられています。
「自分を大事にしすぎるな」
「自信なんてどうでもいい。そんなことで行動してろくなものではない。ただ僕は、“ありのまま”自分を貫くしかないと、覚悟を決めている。己自身のことを最大の敵として、容赦なく戦い続けるのだ」と言われます。
この己自身との闘いですが、
例えば何かに成し遂げたいときに、緊張したり、仕事がかわることで給料が下がるかもだったり、他人と違うことをすることや、孤独になることを恐れたり、というのはおそらく誰にでも少しはあります。
このような時に「自分に自信を持ちたい」と思うのは、卑しい考えだとさえ言っています。
そういう自分は人生最大の敵になりうる。なので今の自分を壊して、自分と闘いながら行動していけば、その先には、「自分が生きた!」と言える人生がある、芸術がある。
という事を言わんとしているように思います。
岡本太郎に関してもう一つは、彼の作品を元ネタにした「TAROMAN岡本太郎式特撮活劇」という、NHKで2022年7月に放映された番組がありました。
これは、岡本太郎の作品や言葉をモチーフにして作成されたモキュメント番組でした。
主人公のタローマンが地球を爆発させるというとんでもないことをしでかしてしまった、というのがあります。
ここで己との戦いによって、なにかを「爆発させる」行動をとった、というのはデイダラとの共通点になっている、と言えると思います。
皆さんはどう思いますか?
「芸術は爆発だ!」まとめ
「芸術は爆発だ!」深い意味がありますね。元ネタから一緒におさらいしていきましょう。
〇元ネタ
1981年 日立マクセルのビデオテープのCMのキャッチコピー
岡本太郎出演
岡本太郎美術館や著書から、「芸術は爆発だ」はCMの演出のためでなく本人の言葉であると考えられる
〇デイダラが「芸術は爆発だ!」と叫ぶシーン
漫画「NARUTO~ナルト~」39、40巻で「芸術は爆発だぁ!!!」と確かに叫んでいる
オイラはその一瞬の昇華にこそアートを感じてならない!うん!芸術は爆発なのだァァ!!」はとりわけ有名。
〇岡本太郎プロフィール
1911年~1966年小学校時代は慶應幼稚舎に編入して卒業。中学は慶應普通部を卒業した。
18歳~31歳まで唯一の日本人としてパリで民俗学等学ぶ。
縄文土器の芸術に感動して世に広める。
大阪万博のプロデューサーに就任。太陽の塔を制作。
〇岡本太郎の『芸術は爆発だ!』
自身のうちなる精神性の爆発を指している。デイダラのようになにか爆発するとかさせるということではなかった。
〇デイダラと岡本太郎の「芸術は爆発だ!」共通点
「芸術は爆発だ」の言葉が放たれる場面においては、瞬間的に沸き起こる自分の気持ちを見逃さないで、自分と闘っていかなければならない、という目線。
その先に自分の求めている人生があり、芸術がある
今後のデイダラも、岡本太郎の作品をみていくことも、ますますます楽しみになってきましたよね!
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