岩田剛典 実家は豪邸なのはなぜ?家族構成・兄や老舗靴メーカーとのつながり

岩田剛典(いわた・たかのり)さん。

三代目J-Soul Brothersのメンバーでパフォーマーとして人気なだけでなく、

現在はドラマや映画で幅広く活躍する岩田剛典さん。

実は岩田さんの実家は 名古屋の豪邸 として知られ、ネットでも「やっぱりお金持ちなの?」と話題になることが少なくありません。

その理由は、実家が老舗靴メーカー「マドラス」を経営する由緒ある家庭だから。

父は会社を率いる経営者で、兄はすでに事業を継いで部長職に就いています。まさに“御曹司”という言葉がぴったりの環境で育ったのです。

一方で、母は芸能界入りに慎重であったともいわれ、家族との関係は単なる「お金持ちの息子」というイメージだけでは語れません。

この記事では、岩田剛典さんの 豪邸といわれる実家の背景や、父母・兄弟との関係 を深掘りしていきます。

また、岩田剛典さんは なぜ実家を継がず芸能界に飛び込んだのか?

ちょっとだけ考えていければと思います。

また、岩田剛典さんの生い立ちや、若い頃のエピソードや慶應時代の挑戦についてはこちらの記事でご紹介しています。

岩田剛典 生い立ちは?実家は名古屋の老舗靴メーカー! 経歴や母との絆に秘められた思いとは?
岩田剛典(いわた・たかのり)さん。 岩田さんと言えば、EXILE、三代目J-SOUL-BROTHERSとして華やかな舞台に立ち続けました。 また、いまではパフォーマーとしてだけでなく、俳優としても大人気です。 ドラマ『ドクタープライス』で見...

1.岩田剛典 実家は老舗の高級革靴メーカー「マドラス」の創業家

実家の靴メーカー「マドラス」代表取締役社長が父

岩田剛典さんの実家は、名古屋に本社を構える老舗靴メーカー「株式会社マドラス」。

1921年(つまり大正10年)5月18日の創業、という長い歴史ともっています

つまり、創業から100年以上。

イタリアの靴づくりの技術を取り入れ、日本に高級紳士靴を広めてきたことで知られています。

2018年のデイリー新潮の記事で、岩田剛典さん父親が、岩田達七(いわた・たつしち)さんが、名古屋市に本社を置く、高級革靴メーカー のマドラス株式会社の代表取締役社長である報じられています。

父親の岩田達七氏は高級革靴メーカー 株式会社マドラス(名古屋市中区栄)の代表取締役社長。同社は、1921(大正10)年から続く老舗中の老舗で、当然ながら”雇われ社長”ではない、正真正銘のオーナー社長だ。(デイリー新潮)

百貨店などで展開される革靴ブランドとしても有名で、「マドラス=上質で高級感のある靴」というイメージを持つ方も多いでしょう。

こうした家業の背景から、岩田さんは“お金持ちの御曹司”という印象を持たれています。

それもそれで事実ですが

ただ、忘れてはならないのは、岩田剛典さん自身はあくまで自分の努力で芸能界に入り、ダンスや芝居で道を切り開いてきたのです。

「実家がすごいから成功した」というよりも、本人の実力と努力があったからこそ、

岩田さんの今の輝きがあるのです。

➁実家 家業のマドラスの歴史や関連企業を簡単に

株式会社マドラスのホームページには、関連企業には、

下呂温泉 湯之島館
岩田工機株式会社

とふたつもならんでいます。

二社とも、オーナーには創業家である「岩田」のお名前が!

岩田剛典さんのご親戚ですね。

マドラスだけではなく、関連企業もご親族を中心に100年以上経営が培われてきたのは、本当にすばらしいことです。

さらにマドラスの現社長は、岩田剛典さんのお父様ですね、

創業者は、岩田剛典さんの高祖父(こうそふ=ひいひいおじいちゃま)でいらっしゃる岩田武七さんです。

岩田武七さんが、戦時中に、陸軍に皮靴製品を供給したことが、事業のきっかけとなったのです。

1915年からは、その息子である岩田誠二郎さんが、家業を継ぐために改名して2代目の岩田武七となります。

この方が、岩田剛典さんの曾祖父(そうそふ=ひいおじいちゃま)です。

2代目武七さんのとき、合名会社岩田商店の家業を、法人化して、亜細亜製靴株式会社にしました。

さらに新事業の一つとして、下呂温泉に「湯之島館」を建設。

かなり手広くやっていますね!

その後、1965年で、岩田剛典さんの祖父である岩田孝七(いわた・たかしち)さんが社長のであるとき、イタリアのバレンチノ マドラス社」と技術提携がはじまり、マドラスブランドが開始されました。

代々培われてきたものがあり、経営をいとなんできたからころ、

資産もがあるということですね。

 

実家が豪邸は本当?実家の住所は?

岩田さんはご実家が「マドラス」を営んでいらしゃる事を公開したのは、

2014年の番組「情熱大陸」でした。

門をくぐってから、お庭が広くご実家の玄関に入るまでに30メートル以上だった、

とか、時々はたぬきが出るほどの大自然だった、などのもあり、

誰がどうみても豪邸だ、ということでネットでも画像が公開され、とても話題になっております。

岩田さんご自身も

名古屋の自然が多い高台のところに実家がある

とお話されています。名古屋市内の高台があるところは、2か所ぐらいに限られます。

おそらく名古屋市瑞穂区周辺、

または名古屋市天白区の八事(やごと)ではないかと推測します。

実際に八事(やごと)の駅から離れたところを散歩してみると、

閑静な住宅地、緑に囲まれた大豪邸をみかけましたから、そのあたりだと思いますね!

2.岩田剛典 実家 父と母もエリート

詳細は、別記事の岩田剛典生い立ちは?の記事に譲りますが、

小さいころから、慶應義塾大学出身のお父様には、「お前も慶應にはいれ」と言われながら、

中学受験で慶應の附属校である慶應普通部の受験をし、合格!

それはすばらしいですが、岩田さん自身は、当時の思いをこのように語っています

「青春を奪われた感じはありますね」

息子の剛典さんへの思いが強すぎて、厳しい面があったのでしょう。

お母さまのご出身は公開されていませんが、元教師であると噂がたつくらい、教育にはきびしい所があったと言われています。

一族で経営していますし、将来の事も考えて、また目先の中学受験戦争に打ち勝つため、という頃も考えれば、そうならざるを得なかったのでしょう。

岩田さんが芸能界という、我が選んだ道を突き進んだ理由は、小学生時代に居やでもやってきた受験勉強の反動なのかもしれませんね。

詳細は、岩田剛典さんの生い立ち、学歴の記事に譲りますが、

中学受験をするために塾をかけもったり、家庭教師をつけていた、というところや

中学から慶應義塾普通部にはいり、慶應大学出るまでの学費はかなりかかりますし、

上京する際は、母帯同で2拠点生活を開始した、ということですので、

東京にもおうちを持ったのか、あるいは借りたのか、いずれにしても

経済的に豊かでないとできないことでしょう。

実家が実際に豪邸であったことだけでなく、経歴的な背景をふくめて、

教育にも力をいれて、お金もかけている、というところから、

富裕層すぎる!と判断できるのでしょう。

3.岩田剛典 兄弟は?兄が家業を継ぐ存在になっている?

岩田剛典さんのお父様は、岩田達七さん(マドラス8代目、創業かでは4代目社長)

岩田剛典さんのおじい様は、岩田孝七さん。(マドラス3代目社長)

みなさん「七」がついているのに

岩田剛典さんにはついておりません。他にご兄弟がいらっしゃるのでしょうか?

調べてきました!

岩田剛典さんにはお兄さんが一人います。

①岩田剛典の兄は岩田敏臣の説

兄がいるんですよ

岩田剛典さんは、各所で兄がいます、とお話されています。

現在はマドラスに入社し、会社の中で部長職を務めているとのこと。

マドラス家具式会社取締役の、岩田敏臣(いわた・としおみ)さんの可能性が高いです。

この方も「七」はつかないけどね。

そうなのですけどね。

ですが、岩田剛典さんは、2022年の配信で、家業について意識したことは?

とディーン・フジオカさんに聞かれたとき、こんな風に語っていました。

僕は、次男なんですよ。今は結局、家業は長男が継いでいるんですよ。(フジテレビビュー配信記事より)

つまり、家業のマドラスを継ぐ役割は兄が担っているんですね。

また、マドラスホームページを見ると、代表取締役社長の岩田達七さん(岩田剛典さんのお父様)以外に、「岩田」の苗字の方がもう一人いらっしゃり、

それが、岩田敏臣さんで、岩田剛典さんとお歳が近い。

◯マドラス株式会社 岩田敏臣(いわた としおみ)
創業103年 シューズメーカー マドラス株式会社 取締役 本部長
1985年生 愛知県名古屋市出身。中学生からアメリカへ留学ののち明治学院大学卒業後、株式会社アサツーディ・ケイで、テレビCM、雑誌広告、ラグジュアリーブランド担当を経験。靴の販売知識や現場での顧客視点を知るために、大手シューズチェーン店ABCマートのアルバイトを経て、家業の2013年 マドラス株式会社入社。(人生ドライブ)

敏臣さんは1985年生まれ、中学時代からアメリカに留学されていたのですね。

明学から大手広告代理店に勤めて、サラリーマン経験を積んでいらっしゃる。

経歴がもちろんすばらしい。ですが個人的にすごいと思うのは、

一番すごいのは、アサツーディーケー退職後、靴の販売経験を積むために、

すぐにマドラスに入らず、靴の販売のABCマートでアルバイト経験を積んでいらっしゃるということだと思います。

家業をもっている方の場合、最初の就職先は一般企業で、そこを退職したあとはすぐに家業に入る方も多いですが、いったんバイトした選択がよいな、と思います。

その方がお客様の気持ちや、働くスタッフの気持ちがわかる。

販売の立ち仕事で、お客様の前で膝まづいたりして、どれくらい足が自分の足が痛くなるかとか、

お客様に靴を売るということが、どういうことか?

現場では何が必要なのか?お客様の心をつかむにはどうしたらいいのか?

しっかり自ら経験されているのですね。

マドラスで店舗販売しても、どうせあの人(敏臣さん)は、将来取締役になる人だろう、と

少なからずは、そういう目でほかの社員サンから見られるので、本当の意味の販売の苦労や、スタッフ同士のやりとりというのは、学びずらい、と考えたのかもしれません。

さらに、

創業家の五代目、銀実会(銀座にショップお店がある経営者の集い)や日本メンズファッション協会 最年少の執行役員としても活躍中

(出典:liyeoseminar.peatix.com/)

 

岩田剛典さんは、1989年生まれですので、おふたりの年齢差は4歳年上の方。

お兄さんとしても自然な年齢差ですよね。

岩田剛典さんは、お兄さんがアメリカに留学していて、

流行の音楽(特にヒップホップ)のをお土産に買ってきてくれたことがきっかけで、

ヒップホップやダンスに興味をもった、と話されています。

中学生の時、兄がアメリカに留学していたんです。

帰国する度に、当時ヒットしたアルバムをお土産に買ってきてくれて、その時のチャートの上位がHIPHOPだったんです。

(「誰かにとっての光になりたい」岩田剛典インタビューより)

敏臣さんの経歴と年齢差から、岩田剛典さんのお兄さんに対するお話と合致しています。

また、

「メイド・イン・ジャパンの名門シューズメーカー マドラスが海外展開を加速」に「岩田敏臣・取締役経営戦略本部部長」(SEVENTIE  TWO 2018年配信記事)

この記事により、岩田敏臣さん2018年にはマドラスの取締役になられていますね。

1985年生まれで、マドラス入社は2013年ということからすると、

入社5年目、かつ30代前半で取締役になられているというのは、普通なら早すぎというくらいの出世です、ね?

このような観点からも、岩田敏臣さんは、マドラスの創業家の一人で、であり次期後継者である可能性は高いのでしゃないでしょうか。

➁岩田剛典の兄は岩田公一の説

一方で、ネット上では、岩田剛典さんのお兄さんは、下呂温泉 湯之島館の代表取締役社長 岩田公一さんではないか?という情報が多くみられました。

岩田剛典さんの上述の発言からすると、お兄様とは違う可能性があり、

いとこさんか、はとこさんではないか、と推測しています。

というのは、岩田公一さんが岩田剛典さんのお兄さん、という説は何を根拠にしているのか?

を考えた時に、

剛典さんと公一さんの曾祖父が、同一人物であることが根拠になるからです。

お二人の曾祖父が、岩田武七さんだ、と読み取れることからだと考えられます。

岩田武七さんは、岩田剛典さんの実家 株式会社マドラス(靴メーカー)や、岩田公一さんが社長を務める下呂温泉湯之島館を設立した人物。

そのことは、以下の報道から読み取れます。

岩田剛典さんのお父様、岩田達七さんが、マドラス社長インタビューにこのように答えています。

私(岩田達七)の祖父の2代目の岩田武七は、これからは日本でも欧米文化が栄えるのでは、と考え、米国から機械を輸入し、靴の生産を始めたのです。(朝日新聞デジタル 2021年配信)

また、

1927(昭和2)年、湯之島館のプロジェクトは始まりました。その年に名古屋の実業家であった岩田武七が、この飛騨の霊泉に、日本に誇れる温泉施設を構想いたしました

(湯之島館HP記載「湯之島館」について)より引用

岩田公一さんのインタビューでは、

下呂温泉は、大昔には、途中温泉が枯れてしまった時期もあるのですが、100年ほど前に、この土地の方々から復興を託された私の曾祖父は、温泉の発掘に成功。それで、今日ある下呂温泉への道を開きました。

(三菱電機 ビジネス導入例 下呂温泉 湯之島館様 エレベーターの記事より)

以上より、

岩田剛典さんの曾祖父と、岩田公一さんの曾祖父は、同一人物ですから、

兄の可能性もありますが、

「兄はマドラスを継いでいる」と岩田剛典さんのお話を考えると、

公一さんは、剛典さんのお兄さんではなく、いとこか、はとこではないか、と推測です。

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さて、家業をしっかりと守り続けている岩田家の様子が少しづつわかってきましね。

岩田剛典さん自身は芸能活動を中心にしていますが、

2021年からは、マドラスが展開しているブランド「NERD MIND(ナードマインド)」一部ポジションに関わり、「家業のブランド力アップ」に貢献している様子です。

家業を直接継がなくても、芸能界で培った知名度や発信力を通じて会社に力を貸している——そんな形が、岩田家なりのバランスなのかもしれません。

家族との絆が岩田剛典を支えている

父の背中、母との葛藤、兄の存在。
こうした家族との関係が、岩田剛典さんの人格や生き方に大きな影響を与えています。

今もなおドラマや映画で輝き続けられるのは、家族の存在が支えになっているからでしょう。

👉 さらに詳しい「岩田剛典の生い立ち」についてはこちらで解説しています。

 

5.岩田剛典 実家豪邸はなぜ?まとめ

以上、岩田剛典さんの実家が豪邸なのはなぜか、というところを、家業や家族構成のつながりもみながら考えてきました。

岩田さんたちが、靴の職人さん達を守り、長年培ったきたものを、陰ながらでも応援していきたいと思います!

岩田剛典 実家が豪邸なのはなぜ?まとめ

岩田剛典の実家は老舗靴メーカー「マドラス」の創業家。資産家
マドラスの代表取締役社長は、父の岩田達七
マドラスの創業者は高祖父の岩田武七で、旅館の経営も開始して、100年以上
マドラスは、岩田剛典の兄が継ぐ予定(兄は中学から高校までアメリカ留学)
旅館の経営、岩田工機株式会社も岩田家の親戚で続けている

岩田剛典さんの父や母、兄弟との関係は、家業である靴メーカー「マドラス」と切っても切り離せないものです。

兄が家業をしっかりと継ぎ、両親が息子を支える。その環境があったからこそ、岩田さんは安心して芸能界で自分の夢を追うことができました。

表に出ることは少なくても、靴メーカーの存在は岩田剛典さんの歩みを支える“影の背景”といえるでしょう。

岩田剛典さんのが芸能界に飛び込むまでには、学生時代の経験や葛藤が大きく影響していました。岩田さんの生い立ちについてはこちらでまとめています。

岩田剛典 生い立ちは?実家は名古屋の老舗靴メーカー! 経歴や母との絆に秘められた思いとは?
岩田剛典(いわた・たかのり)さん。 岩田さんと言えば、EXILE、三代目J-SOUL-BROTHERSとして華やかな舞台に立ち続けました。 また、いまではパフォーマーとしてだけでなく、俳優としても大人気です。 ドラマ『ドクタープライス』で見...

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