芸能界で輝く岩田剛典(いわた・たかのり)さんですが、実は彼の人柄や姿勢の背景には、父・岩田達七(いわた・たつしち)さんの存在がしっかりと根付いています。
慶應義塾大学を卒業後、老舗靴メーカー「マドラス」の経営を長らく支えてきた達七さん。
特に印象的なのが、「多長根=たちょうこん(多角的・長期的・根本的に考える)」というシンプルだけど存在感のある教えです。
今回は、経営の現場だけでなく、世の中を生き抜く指針としても光る、父から受け継がれた哲学を紐解いてみます。
1. 岩田剛典の父・岩田達七とは?プロフィールと経歴
岩田剛典さんの父・岩田達七(いわた・たつしち)さんは、名古屋に本社を構える老舗靴メーカー「株式会社マドラス」の代表取締役社長として、この老舗企業を牽引してきました。
岩田達七さんは、1950年愛知県生まれ。生い立ちの公開はありませんが、
慶應義塾大学経済学部を卒業後、1973 年に現マドラスに入社し、(旧 アジア製靴株式会社)、1980年に取締役就任、1984年に代表取締役、そして2010年には、代表取締役社長となられ、長年にわたり、経営の中枢を担ってこられたのです。
マドラスも、大正10年に創業されたマドラスは、長年にわたり「上質な革靴」で知られるブランド。
岩田達七さんは、日本だけでなくイタリアの高級靴ブランドとも提携し、マドラスを一流の革靴メーカーとして広く知られる存在に押し上げた功労者でもあります。
老舗を守るだけではなく、新たな挑戦を続ける姿勢が達七さんの経営スタイル
伝統を大切にしつつ、時代に合わせて柔軟に変化させる——
その経営手腕は、今もマドラスの発展に色濃く残っていますね。
マドラスの深い歴史は、ホームページ詳しく記載があるのですが、
マドラスの創業者は岩田武七さん。
岩田剛典さんからみると高祖父、達七からみて曾祖父な存在なわけで
岩田達七さんは、雇われ社長ではなく、オーナー社長ということですね!
こうして岩田達七さんが、経営の現場で培った冷静さと柔軟さは、まさに仕事のかたちを超えた人間的強さから来ているように感じます。
2. 岩田剛典の父・岩田達七が語る“多長根”とは?経営哲学と父の教え
岩田達七さんを語るうえで欠かせないのが、「多長根(たちょうこん)」という言葉です。
これは達七さんが大切にしていた経営哲学で、
を意味します。
一見、ビジネスの世界での指針に思えますが、この考え方は人生そのものにも通じるもの。
息子の岩田剛典さんも、この父の教えを「自分の生き方の指標にしている」と語ったことがあります。
テレビ朝日の「徹子の部屋」で、このような語りです。
「これ(多長根)は、多面的、長期的、根本的に物事を考える」という意味で、うちの父が経営者ってころもあるかもしれなんですけども、ずっとその言葉をモットーに生きてきたという話があって。(モデルプレス 2021年1月28日配信記事 三、代目JCB岩田剛典 経営者の父からの教え『多長根』が深い、見習いたい)
芸能界という厳しい世界で活動を続ける剛典さんにとって、この“多長根”の姿勢は大きな支えになっているのかもしれません。
父、達七さんの思いが、剛典さんの中で大切に継承されている様子がうかがえます。
ちなみに、この言葉は、
新将命氏の著作『経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目』にも紹介されていて、経営の大局観を養う上で役立つ指針として知られているのですよね。
達七さんは、経営者であり、絶えず学び続けているということですね。
3. 岩田剛典の父・岩田達七と息子の関係 芸能進出に反対していた?
実家が大きな老舗企業を営んでいることから、剛典さんが家業を継ぐことを望んでいた人は少なくありませんよね。
父・達七さんもまた、息子にそうした道を歩んでほしいと考えていたといわれています。
実際に、達七さん自身は、慶應義塾大学出身で(中学や高校の経歴は公表されていませんが)おそらく、愛知県の進学校から、大学受験をされたのではないかと推測します。
また、達七さんの叔父の岩田誠三(=いわた・せいぞう 国際鳩連盟理事 元マドラス社長)さんも、慶應義塾大学経済学部出身だったのです。
そうした経緯もあって、剛典さんが幼少のころから「お前も慶應に入れ」が口癖だった、と言われるくらいです。
自分と同じ大学をでてゆくゆくは、同じように経営の道にはいってほしい、という思いがあったのではないか、と推測します。
剛典さんならできる、期待もあったと思われます。
だから慶應の附属校である慶應義塾普通部という、中学受験の中で超難関校の受験を目指すように促し、見事に合格もされた、というわけなのでしょう。
しかしながら、岩田剛典さんは慶應大学卒業後に芸能界へ進む決意を固めたわけです。
当初は反対もあったのですが、それを押し切って選んだのが「三代目 J SOUL BROTHERS」のオーディション。
達七さんは父としては、複雑な思いもあったでしょうが、自分の道を貫いた息子の姿は、まさに「多長根」の精神を体現しているともいえます。
やがて剛典さんの成功を目の当たりにし、父として陰ながら応援する存在へと変わっていったのではないでしょうか。
息子の岩田剛典さんが、「僕は継がない」と言い出すことぐらいまでなら、予測していたかもしれませんが、
「芸能界に進む」想定外だったのではないでしょうか。
父としては、安定した道を歩ませてあげたかったはずです。
もちろん、経営者が安定しているわけです。
雇われの人とは違う、リスクやプレッシャーをしょって仕事をしている。
ただ、芸能界の不安定さというのとは異なりますね…
それでも、剛典さんが芸能界への道を選んだことにはきっと誇らしさを感じているはずです。
岩田剛典さんのご活躍を肺炎すると、もう剛典さんを「応援しかない」と受け止めている様子も伝わってくるように思います。
お父さまの言葉は、形を変え、それでも剛典さんの背中を押し続けているようです。
4. 岩田達七の存在が岩田剛典に与えた影響
慶應義塾大学に進学し、努力を重ねて芸能界でも第一線で活躍する岩田剛典さん。
その根底には、父・達七さんから学んだ価値観があると考えられます。
一見、父の意志に逆らって芸能界に進んだように見えますが、
挑戦を恐れずに行動する姿勢や、物事を長期的・根本的に考える視点は、まさに父の教えを体現しているといえるでしょう。
家業を継ぐという形ではなくても、父から学んだ哲学を別の舞台で実践している——それが今の岩田剛典さんの輝きにつながっているのです。
学校を演劇の道具に変えたチャレンジ、努力を怠らない姿勢、長期的に見据える覚悟。
こうした姿勢の裏には、父から受け継いだ“考え方の土台”があるのかもしれません。テレビ出演時に語った「多長根」の教えが、今も心の一部として息づいている——そんな印象を受けます。
まとめ:岩田剛典の父、岩田達七の、子へ受け継がれる多長根の価値観とは
岩田達七さんは、ただの「自動的な後継者」でなく、“経営者として人として”をしっかり見せてくれる存在。
その哲学は本人の口からではなく、息子の生き方に自然に反映されている——まるで景色に馴染んだ光のようです。
「父ありきの背景」ではなく、「父の哲学が息子の信念」を支える構図が、この家族の魅力だと思います。
こうして、岩田剛典さんの父・岩田達七さんは、慶應卒の経営者としてマドラスを支え、独自の哲学「多長根」を掲げてきました。
その考え方は息子の剛典さんにも受け継がれ、芸能界という厳しい舞台での挑戦を支える大切な基盤となっています。
「実家の豪邸」や「御曹司」というイメージだけでは語れない、父から子へと受け継がれた深い価値観。
これこそが、岩田剛典さんが唯一無二の存在である理由のひとつなのかもしれません。
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