銅冶勇人 ラグビーを語る理由とは?廣瀬俊明とのアフリカ支援原点の想い

アフリカを支援している銅冶勇人さん。

銅冶勇人さんといえば、この夏は特に、サントリー天然水とのコラボレーションイベント「What is 20」でもひときわ注目を集めています。

ここでは、天然水が育まれるまでにかかる時間をおよそ20年、をキーワードに、

まだ、「水」という命に直結するテーマで、水道水から飲料水がでることがほとんどないアフリカのガーナの20年後の未来を考えることに重きをおいています。

ですが、銅冶さんはただ天然水だけを届けたいわけではないはずです。

水を通じて人と人、文化と文化、未来と現在をつなく、心の水分補給。

ラグビーとアフリカ支援? 一見つながりがなさそうなこの2つを、まっすぐな情熱で結びつけていく。

それをしているのが、元アメフト選手でありファッションブランド『Cloudy(クラウディ)』の代表、銅冶勇人さんです。

実は銅冶さん、ラグビーにも深いルーツを持っているのです。

この記事では、銅冶さんとラグビーとの意外な関係、廣瀬さんとの出会い、そし

て“なぜ支援なのか?”という原点に迫ります。

1.銅冶勇人とラグビーの意外な関係

銅冶さんの原点には、意外にも「ラグビー」があります。

現在は、元日本代表の廣瀬俊明さんともタッグを組んでアフリカ支援に取り組んでいます。

ラグビーとの関わりはいつからなのでしょうか?

銅冶勇人さんの現在の活動につながる生い立ちやプロフィール・名言については、

こちらで詳しく書いています。

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①実は中学までラグビー少年だった

銅冶勇人さんは、実は小学校の高学年の5年生ごろから中学の間までは、ラグビーに親しんいたようです。

走る・ぶつかるといった身体を張るプレーを心から楽しんでいたといいます。

当時は仲間と声を掛け合いながら、一つのトライを目指す、そんな日々に夢中でした。

銅冶勇人さんの小学校といえば、慶應義塾幼稚舎(慶應の最初の小学校)ですから、

「独立自尊(どくりつじそん)」「先ず獣身を成して後に人心を養えよ」という福沢諭吉が残している言葉の教育方針です。

まず肉体をきたえ、心身を健康にしてから、精神的な成長や教育に目を向けていくという事に重きをおいているはずです。

スポーツを楽しめる身体づくり、というところも重要視していたのでしょう。

➁兄の存在が転機に…アメフトに進んだ理由

ラグビーを離れたきっかけは、実は銅冶さんのお兄さんの存在だったようです。

銅冶勇人さんは、お兄さんへの思いを次のように語っています。

ラグビーをやっていると、いつも「銅冶の弟」としか言われなかったんですよ

(キューピー)

この記事でインタビューをされている前田有紀さんも、慶應の体育会ラクロス部ということで、

ラグビーで有名だった銅冶勇人さんのお兄さんのことをご存知という事だと思います。

つまり、銅冶勇人さんと、お兄さんも慶應幼稚舎から大学まで一緒だったようです。

同じ学校でラグビー部の花形だった兄と比べられることに葛藤を抱き、

「自分の土俵で勝負したい」と考えアメフト(アメリカンフットボール)へ転向されたわけです。

高校・大学ではアメフト部で活躍し、リーダーシップや組織作りの経験を積んでいました。

③ラグビーとアメフト、共通する「チーム観」と支援の原点

ラグビーとアメフト、競技は違えどその精神には共通点があります。

どちらもボールが楕円形なことは共通点の一つだよね。

そうです。でもきっとそれだけではありませんね。

例えば、「個よりもチームを信じること」。

銅冶さんは、現地アフリカでの支援でも、こしたチームスポーツの”信頼”や”連携”の精神が生かされていると語ります。

ラグビーとアメフトの共通点には、他のチームスポーツ(野球など)とは違うものがあります。

オフェンス(攻撃)ディフェンス(防御)の中でも、各ポジションの役割分担が徹底されていることです。

役割分担が徹底されているから、チームのためにの自己犠牲、献身の精神が高いスポーツである、ということです。

銅冶勇人さんが支援している活動として

「誰かのために働く事が、結果として自分の力にもなる。」という価値観は、

銅冶さんが経験してきたスポーツで培った原点そのものと言えるでしょうね。

 

2.銅冶勇人 ラグビーの廣瀬俊明との出会いと共鳴

①元日本代表・廣瀬俊明がなぜアフリカに

2023年、銅冶勇人さんの活動に共鳴した元ラグビー日本代表・廣瀬俊明さんがアフリカのガーナへ同行されました。

日本のトップアスリートである廣瀬さんが、なぜアフリカへ?

と思いましたが、

廣瀬さんご自身も、スポーツで培ったキャプテンシーを土台に教育や地域課題に取り組んでおられ、ケニアなどにもご自身の会社のメンバーで訪れています。

そして、実は銅冶さんのNPO法人の理事もつとめていらっしゃるということです。

理事だから一緒に行ったということね。

それもそうです。

しかし、理事だからといって、現地を訪れるのは決して当たり前ではないのですよね。

やはりその背景には、「次世代のために、自分の経験を社会に還元したい」という銅冶さんと共通した多いがあったのだと思います。

 

➁現地でみた”子どもたちの笑顔”とリアル

ガーナを訪れた廣瀬さんが何より驚いたのは、貧困の現実よりも

”子どもたちのまなざし”の強さでした。

物質的な豊かさはまだなくても、何かに挑もうとするエネルギーにあふれていたのです。

廣瀬さんは、帰国後、「あの子たちが持っている希望を、もっと多くの人に伝えたい」と語っています。

☆彡

③アスリート×社会貢献の可能性

銅冶さんと廣瀬さんのコラボレーションは、「スポーツと社会貢献」を結ぶ

新しい流れともいえるでしょう。

お二人に共通するのは、”現場を見る目”と”仲間を信じる力”です。

この先、アスリートが社会課題に向き合う動きが広がる中で、お二人の取組は確かな指針を示しています。

また、廣瀬俊明さんも慶應義塾大学出身で、体育会ラグビーのご出身ですので、

同じ慶應というだけでなく、共通の知り合いも多く、意気投合したでしょう。

3.銅冶勇人 ラグビーとともにアフリカ支援で伝えたいこと

①支援は”遠い世界の話”ではない 本質を捉えた支援をするのが大事

「支援」のことばに、どこか遠いイメージを抱いている人も少なくないかもしれません。

けれど、銅冶勇人さんはこう語ります。

アフリカの子どもたちの未来と、私たちの暮らしは地続きで繋がっている。

そういうことですよね。

支援とは、特別な行動ではなく、「関心をもつ、繋がること」そこに始まるのです。

➁ラグビー精神と通じる 本質を捉えた支援をするのが大事

誰かの為に動くことが、やがて自分も支える。

ラグビーのように、ポジションごとの役割がはっきりしたスポーツでの

精神面から言えることだと思います。

銅冶勇人さんが、アフリカにお金やモノを寄付しないで支えている、その思いを次のように語っています。

現地にいると、日本の企業や団体が服などの色々なモノを寄付する支援をよく見かけます。しかし、途上国の問題の本質を捉えたアクションは少ないというのが私の印象です。アフリカにはアフリカの民族がいて、彼らが長年培ってきた生き方や文化があります。そこに日本のやり方や文化を押し付けても、うまくいくわけがありません。私が考える支援は、現地の民族や文化を尊重しながら本当に必要とされるものを作っていくこと。学校作りにしてもそうです。(慶應義塾基金室)

支援とは、決して上から目線の行為ではなく、「共に生きること」への一歩なのですね。

③若い世代に伝えたい”自分の枠を超える力”

銅冶さんが得に伝えたいのは、若い人達へのメッセージです。

「自分の世界を少し外に広げてみると見え獲るモノが変わる」

それはスポーツでも、ビジネスでも、人生の選択でも共通すること。

「行ったことのない場所に一歩踏み出すこと」

それこそが変化を起こす第一歩になるのですよね、銅冶さん。

4.銅冶勇人 ラグビーを語る理由とアフリカ支援 まとめ

ラグビーにルーツを持ち、アメフトで自分の居場所を切り拓き、

そして今、アフリカで新しい”チーム”を育てている銅冶勇人さん。

廣瀬俊明さんとの出会いを通じて、アスリートと社会の接点も浮き彫りになってきました。

誰かのために動くことは、やがて自分を支える力になる。

このスポーツにも通じる哲学は、国境や分野を超えて広がりつつあります。

私たち一人ひとりにも、きっとできることがある。

そんな気づきを与えてくれる挑戦のストーリーですよね。

銅冶勇人さんの現在の活動につながる生い立ちやご実家、プロフィール・名言については、

こちらで詳しく書いています。

銅冶勇人 実家や経歴は?wiki風プロフィール!名言もご紹介
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