銅冶勇人さんって、最近よくメディア関係でもお見かけますね。
WBSにも出たりしています。
若手のようですが、アフリカを拠点に事業をしたり、起業家としてのご活躍がすごいです。
そのような若手起業家が育つ家って、どんな感じなんでしょうか?
銅冶さんの実家や経歴を調べてみました。
銅冶さんのお仕事、気になるプロフィールをwikipedia(ウィキペディア)風にまとめつつ、
銅冶さんの考えのベースになっている言葉、教育的・人間力の魅力の視点からひも解きながら、
心に残る名言もご紹介する内容でお届けしたいと思います!
【1】銅冶勇人wiki風 「経歴、学歴、出身校」
実家のお話の前に経歴をまとめますと
銅冶(どうや)さんは、NPO法人を設立によりアフリカを支援されています。
アフリカの主にガーナです。
資金援助する等だけではなく、実際に何度も現場にいっておられます。
最初にアフリカに行くときは、実感の反対をおしきってむかったそうですが
今のように銅冶さんいしかできないアフリカ支援のお仕事をされて
結果を出しているというマインドは、
実家でのことば、教えが全ての支えになっているようです。
どんなことばがあったのでしょうか?
気になりますのであとの章でまとめました。
また、アフリカと言えば、貧困問題によりさまざまな課題があると思います。
中でも、アフリカの「子どもが学校にいけない(教育)」「技術能力が身につかない(雇用)」という課題に重きを置いて、支援されています。
「子どもが学校にいけない」についてはガーナに公立の学校をすでに約4つ建てられているということ。
「技術能力が身につかない」についてはアフリカの伝統的な柄をつかった衣類やバッグなどの製造を行なっています。
製造のその為の工場がガーナにあり、現地の方を700人くらいも雇用しています。
CLOUDYが、そのアフリカで作った服を売るアパレルブランドです。
CLOUDYでの収益での一部をアフリカの学校支援、技術発展に向けての雇用の支援に寄付されているのですね。
田内学氏のサイトによれば、銅冶さんご本人曰く、
「アフリカに渡しているのではない、むしろ彼らからもらっているのだ」
支援しているのに、彼らから貰っている、とはどういう意味でしょうね、
この言葉の意味をどうとらえるか、銅冶さんのプロフィールをみながら、最後に考えていきたとおもいます。
現在のお仕事については、このようにまとめられております。
銅冶勇人(読み方:どうや・ゆうと)は日本の起業家
特定非営利活動法人Doooooooo主宰、株式会社DOYA代表、アパレルブランドCLOUDY創設者。(JICA PARTNER記事より)
①生い立ち~アフリカを支援するまでの略歴
銅冶勇人(読み方:どうやゆうと)氏は、1985年東京都生まれの起業家です。
2008年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社をに入社
2010年(ゴールドマン・サックス証券株式会社への入社3年目になるとき)
NPO法人を立ち上げ、
2014年に同証券会社を経てから、2015年株式会社DOYA、アパレルブランドCLOUDYを立ち上げました(JICA PARTNER記事より)

2025年現在は39歳~40歳ぐらいね。
20代でNPO法人設立して、会社運営初めてるから、やっぱり才能がある人よね。
銅冶さん自身も、「この会社に入ってなければ今の自分はない」と語られています。
何を学ぶにしても基本的なことをハイレベルで学べたことは
物事の解決、達成、構築をするスピード感や人の動かし方など
現在の運営にかかわる全てのことへの基盤になっていらっっしゃるわけですね。

ゴールドマン・サックスで働いているだけでかなり忙しいだろうに
働きながらNPO法人をつくって、運営したのは、すごい努力をされてますね
努力できる才能の持ち主でも、決して楽な道ではなかったはずです。
どの様に乗り越えてこられたのでしょうか?
証券会社での仕事は想像以上に大変だったのですが、
辛い時はアフリカで見たスラム街の光景を思い出し、原動力に変えていた、
次のところで詳しく見ていきましょう!
➁ アフリカとの出会い 父親の反対を押し切っての決意
ゴールドマン・サックス証券会社での仕事は大変だったのですが、
辛い時はアフリカで見たスラム街の光景を思い出し、原動力に変えていた
(JICA PARTNER インタビューより)
証券会社在職中、NPO法人を立ち上げたことは、アフリカを支援だともいますが、
銅冶さんがアフリカに注目したきっかけは、さらにもっと昔です。
幼少のころから、アフリカンスタイルに興味があり、図書館でそのような写真集や本を読むのがすきだったそうです。(Dinosインタビューサイトより)
さらには、大学の卒業旅行でアフリカのケニヤのマサイ族の家にホームステイした経験だとが、原動力になったそうです。
どうせなら、人生で一度しか行かない場所に行ってみよう!という決心だったそうです。
この時は親御さんの反対を押し切って敢行されたそうです。

マサイ族の生活の新鮮だっただろうね!
他にはどんな経験をされたのかな?
スラム街の経験が大きなカルチャーショックだったようです。
200万人が暮らしているというスラム街でも
200世帯に一つしかトイレがないという劣悪な環境で
仕事や学校もなく
もの乞いする子どもや、寝っ転がっている光景を見るのは当たり前だった
でもこのような場所に自分が遭遇したことには意味があると思った
日本に当たり前にあるものが、当たり前ではない。現状を変えていきたいとおもった(慶應義塾基金室HPより)
銅冶さんは、アフリカの現状を変えていきたいという思いを
実際のご自身の経験を通じて実感されたのです。
ニュースをみて他人事としての理解にとどまらず、
自分ごととして、引きうけている、それはすごい事だと思います。
こうして、アフリカ支援の思いが増したのですね。
卒業旅行から帰ってきてからは、
ゴールドマン・サックス証券での入社が決まっていたと思いますので
証券会社のお仕事を全力で打ち込み、休日にはNPO活動をされるようになった
証券会社の先輩によれば、有給休暇の度にアフリカに行っている、と話したそうです。

アフリカが、人生で一度しかい行かない場所、のはずのつもりが、
何度もいきたい場所になった、というわけね!
自分は「飯も食え、家族も友だちもいる。仕事もあるのに悩んでいてダサいぞ」と意識がかわった (JICA PARTNER インタビュー記事より)
このようにして、乗り越えられていまがあるのですね。
③学歴、出身校
銅冶さんは1985年東京都生まれなので2025年現在39歳~40歳ですね。
2008年慶應義塾大学経済学部卒業とあります。
2008年で22歳でいらっしゃるので、学生時代の留年や、浪人もされていませんね。
dinosインタヴュー記事にて、銅冶さんは
小中高から大学までの一貫に通っていたと話されています。
慶應の小学校と言えば、慶應義塾幼稚舎ですから
小学校受験での競争を経て慶應幼稚舎にはいられ、
幼稚舎出身の慶應生ということです。
その後中学ですが、慶應幼稚舎から内部進学できる中学校は当時は3つありました。
銅冶さんの出身中学の詳細の名前は公表されていませんが
ご自身のインスタの投稿に学ラン姿のお写真を投稿されてましたので
男子校で日吉にある慶應義塾普通部に進まれた可能性が高いと思います。
その後慶應義塾高等学校(神奈川県横浜市)に進まれたことは公表されています。
この慶應高校から、内部進学で大学の経済学部に入れるのは、ある程度成績を良く保っていなければ入れないはすずです。
成績は結構よかったのでしょう。
また、経済学部ににはいってから、大学で留年せず、就職浪人というのもされていないのですから、
しっかりと勉学こなしてこられたのでしょう。
高校時代と大学時代はアメリカンフットボール部だったとそうです。(JICA PARTERインタビュー記事より)
キャプテン(主将)もつとめたとか
体育会のアメフト部ですので、高校も大学も練習や合宿など厳しいはずですが
文武両道、しっかりこなされましたね。

高校も大学も体育会アメフト部だったのね!
外資系金融会社でやりぬく体力・知力、共にもともと備わっていた人物でしょう。
アメフトの試合では少しお見かけしたことがあります。
遠くに見える知り合いにも、声をかけてかけよって、笑顔で挨拶する姿でした。
礼儀正しいのに、親しみやすいですから、人から好かれる人物だと思います。
銅冶さんは、「人を笑顔にするのが好き」ということを言っていますが、
銅冶さんを目の前にして、相手は自然に笑顔になるのでしょうね。

アメフトというと、選手皆さんの体が大きいとか、怖そうな人達をイメージする方もいるかもしれないね。でも決してそうじゃない、ということがわかってきました。
【2】銅冶勇人 「実家、父母(両親)のことば、人物」
①ご実家「人の役に立ちたい時は自分の頭で考えて、自分で動く事」
ご両親と、お兄様がいらっしゃるようです。
就職活動をする上では、家族(両親)との時間をよくとるようにしました
家族との時間を大切にして、今までどんな育ててきてくれたか、どんなところに困っていたか、聞くことが大事だと思ったからです
(JICA PARTNERインタビュー記事)小学校で行っていたユニセフ募金の為に、兄と一緒に家での「お手伝い表」を作り、風呂掃除や新聞とりなどを手伝いました。小遣いとして小銭をかせぎ、その小銭を寄付にあてました。「自分の頭で考えて、自分で動くこと」はこのころから体に染みついていたのかもしれません。(dinos インタビュー記事)
➁父母(ご両親)「あなたにはあなたのやり方がある」
銅冶さんの経歴からわかるのは、決められたやり方や慣習にとらわれるのでなく、
常に「自分で考え、自分のやり方」で人生を切り開いてきたと思います。
その原点は、ご両親の考えにあると感じられます。
『よそはよそ。うちにはうちのやり方があるし、あなたにはあなたのやり方があるはず』と、幼少のころから言われていました。小中高~大学まで一貫に通っていたこともあり、同じような経験・思考人種で群れやすい環境だったんです。だからこそ、両親はまわりに流されないことを熱心に教えていてくれたのかもしれない (dinos インタビュー記事)
大学に行くまで、やりたいことをやらせてくれていたが、大学でアメリカに留学で行きたい、ということには父親に反対されました。『日本でアメフトを続ければ、チームメイトと家族のように関係を作れる。続けていくことで見えてくるものもある。一方、日本で大した勉強をしないやつが、アメリカに行ったからといって勉強するはうがない!』と父親に言われました
(JICA Partner インタビュー記事)
③仲間づくりが豊かな人物
銅冶さんは、元ラグビーユニオン選手の廣瀬俊朗さんと一緒にアフリカにいかれた、
ことを写真付きで紹介されていました。インスタライブなども開催されているので
廣瀬さんと仲が良いのでしょう。
また、休日には仲間を自宅によんで楽しんだり、ホームパーティもあったそうなので、
人間交際は豊かそうです。
彼女さんとか….ご結婚されているのでしょうか?ということについては、
現時点で公に結婚や交際についての情報は見当たりません(2025年5月現在)
ただし、お仕事の面からも物事の本質をみるために、現地に行く、という方なので
結婚という形に限らず、「人とどうかかわるのか、本質をどうみるか」銅冶さんとって重要なテーマなのかもしれませんね。
3.銅冶勇人 「名言(心に残る言葉)」「プロジェクト」
① 銅冶勇人「アフリカに服を送らないでください」
「アフリカに服を寄付してはいけないのですよ」(田内 学 氏のnoteより)
何故寄付をしてはいけないのでしょうか。
外資系金融会社で先輩にあたるかたが、ご本人がそのようにおっしゃっていることを、
ブログで書き記しています。
ブログ銅冶さんは、金融会社在職中にNPO法人を立ち上げて、
当時からアフリカにお金を送るだけではなく、
毎年アフリカに行って、自分の手足を動かして支援し、アフリカで本当に必要な物は何か、考えていた、ということです。
実際にガーナで活動をされている聞いております。
このようなまとめでした
服を寄付することが、アフリカの経済発展を妨げている。世界中から衣類が送られてくるからアフリカの人にとって、服はもらうもの。買わない。だから衣類を作る産業が発展しない。衣類を作る繊維工業が発展しなければ、その先の軽工業、さらに自動車やパソコンを作るようなことができるようにならないのです(田内学氏note 「これは支援じゃない、むしろアフリカからもらっているのだ」より)
これは、アフリカの現地にいって見聞きしなければ、分からない事だと思います。
服づくりのための工場を設立し、女性の雇用の機会を増やし
産業発展のために活動されている言葉、深いですね。
➁銅冶勇人「アフリカに渡してるんじゃない、彼らからもらってる」
「アフリカに渡しているのではなく、むしろ(アフリカの)かれらの方からもらっている方が多いのですよ」(田内 学氏 noteより)
こちらも銅冶さん自身がおっしゃっていた言葉として、ブログで紹介されています。
これだけ、いわゆる支援いうか、アフリカにとって何がいいかを考えて提供していても、
銅冶さんにとってはこの感覚です。
「多い」というのは、もちろん製造した服の量のことをおっしゃっているわけではないと思います
アフリカに行くことで、学校に通えることになった時の子どもたちから笑顔がもらえる、
働く喜びを感じる人々の笑顔とか、そういうのをもらっていると感じていらっしゃるのかもしれません。
教育の本質、とか働く意義とか、生きる意味、とかのことかもしれません。
アフリカ現地で、屈託ない銅冶さんの笑顔いっぱいの写真は、あふれています。
ことばが詳細に完全に伝わり合えなくても、絆があるのでしょう。
銅冶さんのように、世界と、社会と実際に深く関わりながらも柔軟にキャリアを切り拓く姿は、現代における「教養」の体現者といえるのではないでしょうか。
皆さんはどう思われたでしょうか?
このブログでは、引き続き「人生を豊かにする教養」について、人物や事例を通じて発信していきます。
③プロジェクト
最後に銅冶さんがなさっているプロジェクトのお話です。
2025年で、NPO設立からおよそ15年、アパレルブランドCLOUDYは創業10年目。
便利な通販サイトの他、「MIYASHITA PARK」実店舗に加え、渋谷区神宮前のハラカド店もありますね。
更に新しいことでは、
ガーナ現地で、テキスタイルデザインの写真や映像の専門性を育む学校の開校されたり
ガーナの街全体をきれいにする取り組みなども始められているようです。
銅冶さんが一人で始めたアフリカ支援と服づくりの両輪ビジネスは着実に共感の輪を広げていると思います。
ザキントン・ハウスからも陰ながら応援しています。
4.銅冶勇人 wiki風プロフィールまとめ
銅冶さんは…
2アパレルブランドCLOUDYの運営会社「株式会社DOYA」の代表
☑1のNPOは、アフリカのガーナ現地に学校や、働ける工場設立
2の株式会社では、現地で作った製品を日本等で販売
NPOの非営利の支援活動と、株式会社としての利益を生むビジネスの
循環型ビジネスを生み出した人物。◆外資系金融会社在職中に、本業と両立でNPOと立ち上げることにはじまった。
◆アフリカ支援のきっかっけは、大学の卒業旅行でみたアフリカのスラム街の光景
◆大学は慶應義塾大学経済学部の出身、小学校から中高大一貫教育
◆高校と大学で体育会のアメフト部
◆両親の教えにもある「まわりに流されないで自分の頭で考えて動く」を貫いてきた
◆人を笑顔にすること、目のまえにいる人を楽しませることに喜びがある
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