阿川尚之(あがわ・なおゆき)(1951-2024)、法学者としてアメリカ研究や国際法に大きな足跡を残しました。
阿川尚之さんのことは、慶應義塾大学SFCで教授・学部長、理事を務められたことで知っている方も多いでしょう。
アメリカでは、コロンビア特別区、ニューヨーク州、バージニア州の3つの州での弁護士資格をもち、アメリカ通と言われるのは当然のごとく、専門書、エッセイなど多数。
そのアメリカ通な阿川尚之さんが生きていらしたら、2025年現在のアメリカをどの様に語るのでしょうか?
ちょっと気になるのですよね。
阿川尚之先生は、アメリカでの経験と幅広い知識を背景に「自由」を語り、さらに家族に受け継がれたユーモアの精神で学生を魅了したのですね。
最終講義のことばやエッセイには、福澤諭吉の教えにも通じる「独立自尊」の思想が脈うっています。
本記事では、阿川尚之が慶應に残した教えと、その人となりを「教養体現者」として振返ります。
1.阿川尚之のプロフィールや経歴は?家庭環境も
阿川尚之(あがわ・なおゆき)さんは、あの高名な作家で知られる阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんの息子さん(ご長男)ですが
阿川さんといえば、タレントで人気の阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんも有名です。
阿川尚之さんは、阿川佐和子さんのお兄さんでもあるのです。
家族構成も豪華ですね、
でも阿川尚之さんの興味深いところはそれだけではありません。
幼い頃に、「父と同じ作家にだけはなるまい」と決心。
ご本人曰く、ちょっと遠回りはしたものの、研究者の道を切り開いてきたと。
そんな阿川尚之さんは一体どんな生い立ちなのでしょうか?
阿川尚之 生い立ち
阿川尚之さんは、1951年4月14日生まれ。
物心がついた時には、「父と同じ作家にはなるまい」という固い決心があったのですが、
アメリカに関心を抱いたきっかけは、高名な作家の父・阿川弘之の影響でした。
そのわけはというと、阿川弘之さんが、米ロックフェラー財団のフェローとして、奥さんと一緒に渡米したのです。
ちなみに、その1年間の間、阿川尚之さんは、妹の佐和子さんと一緒に広島の叔父の夫婦に預けられて、生活を送っていたのです。
親族とはいえ、そんなに長い間、預かってもらうというのは、結構長いですし、時代を感じますね。
ともあれ、阿川尚之さんは、小さいころから、両親には甘えられない、という環境を経験し、その中で、独立心がこのころから芽生えていたのかもしれません。
さて、作家の父たちが米国に留学したのは、とある招聘(しょうへい)プログラムでした。
阿川尚之さんは、このように語っています。
この招聘プログラムは、米国の民族文化外交の一環で、戦後の日本を反米にさせないねらいがあったとされる
広島のご出身だったお父様・阿川弘之は、米国にあまり良い感情を持てずにいましたが
米国滞在を通じ、先進性・開放性に魅了された帰ってこられたのです。
帰国後、ことあるごとに友人や知人に米国の話を楽しくし、尚之さんも、それを見聞きして育った、というわけなのですね。
阿川尚之 慶應との出会い
中学受験で麻布中学にはいっていたのです。
でも中2の5月から、患っていたネフローゼが発症し、入院のため欠席が増えた、中学3年の4月に復学。
小学校時代の同級生で、慶應普通部に入っていた友人から、「大学への進学校のようなところにいると、身体がもたないだろう、高校から慶應にきたらいいんじゃないか?」とすすめられ、
病み上がりでもあり、厳しい大学受験戦争に参戦するよりは高校から慶應に入った方が安心だろう」との理由から慶應を受験をきめて、見事合格して慶應義塾高校へ。
その後、慶應義塾高校の高校2年のときにはハワイノプナホウスクールに留学を経験、
その後、慶應大学の法学部政治学科に進む。
在学中にはジョージタウン大学の外交官学部に留学。
単位互換(留学先の大学で取得した単位を日本の大学の単位としてみなす制度)が認可されず、慶應義塾大学の学位を取得するためにはあと2年間在籍しなければならなかった。
既に3年遅れで(中学の時の1年遅れと、大学での留学で)25歳になっていたことも相俟って、慶應は中退(日本の学位をもっていない)
「愛着を感じる慶應、特に慶應の友人たちと縁が切れ、自分の帰るべき場所がなくなると思い、非常にショックを受けた」のです。
2.阿川尚之が慶應で伝えた「自由」の精神
慶應義塾大学SFCで阿川尚之が展開した授業は、アメリカの憲法判例を学生と原文で読み解き、徹底したディスカッションを行うという独自のスタイルでした。
アメリカのロースクール仕込みの方法論は、単なる知識の伝達ではなく、学生に「自ら考える力」を植え付けるものでした。
3.阿川尚之 ユーモア
法学者でありながら、阿川の語りにはいつもユーモアがありました。
時に軽妙な逸話を交え、学生や同僚を笑わせる姿は、学問を堅苦しいものではなく「人を豊かにするもの」として伝える力を持っていました。
忙しさの中にこそユーモアを忘れない、その姿勢は人生の余裕を感じさせます。
4.阿川尚之の古典と「心の友」
阿川が繰り返し語ったのは、「古典の著者を心の友とする」という考え方でした。
時代や国を超えた思想家たちの著作を読み継ぎ、対話すること。
それは単なる学問ではなく、人間の生き方そのものを豊かにする教養の営みだと説いていました。
5.阿川尚之からのこされた言葉と次世代への伝承
阿川尚之は「福澤諭吉が今生きていたらどう語るだろうか」という問いを重ね、自らの研究と教育を位置づけていました。
その言葉や姿勢は、学生や家族を通じて今も受け継がれています。
自由とユーモアの精神は、彼を知る人々の記憶の中で生き続けているのですね。
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