今や時に「王子様キャラ」だったり、時には「岩ちゃん(=がんちゃん)」として親しみやすく人気を集める岩田剛典さん。
ですが、その若い頃には華やかさだけでなく、努力や葛藤に満ちた日々がありました。
愛知県名古屋市で生まれ、老舗靴メーカー「マドラス」の御曹司として育った岩田さん。
幼少期から周囲の期待を背負い、いずれは家業を継ぐのではないかと考えられていました。まさに“エリート街道まっしぐら”とも言える生い立ちです。
しかし、その道のりには意外な一面も隠されています。
岩田剛典さんの実家、ご家族の関係についてはこちらの記事で書いています。

1.岩田剛典の学歴は?分かり易くまとめると
出身校を入学の年代順にまとめました!
岩田剛典さんは、1989年3月6日に、愛知県名古屋市で生まれまして、B型。
小学校は地元に通われますが、中学は受験をしました。
神奈川県横浜市にある、私立の慶應義塾普通部に入学がきまってからは、
内部進学で慶應の大学まで進まれます。
2.岩田剛典の学歴 中学受験で慶應をめざして合格までの詳細
岩田剛典さんは小学生のときに中学受験に挑戦。
みごとに難関を突破し、慶應義塾普通部(神奈川県横浜市日吉、偏差値72)に入学しました。
最寄り駅は、東急東横線の日吉で、大学とは反対側の道を商店街にむかってずっと歩いていくところにあります。
慶應義塾普通部は、中学受験での男子御三家の一つ、なのですからね。すごいです!
入学後地元の名古屋市を離れ、母と一緒に上京することになります。
慶應普通部は筆記試験が難しいだけでなく、面接まであります。
受験準備だけではなく、受験日当日も家族総出で、備えていていたというわけです。
自分の意思で「中学受験をしたい」「この学校に行きたい」と考えるお子さんもいると思いますが、
岩田さんは当時はそうでなく、お父様も慶應大学出身で、「お前も慶應に入れ」と言われながらラ進めてきたのです。
岩田さんは、各社インタビューで、中学受験への思いを次のように語っています。
「中学受験はつらく、青春を奪われた感じはある」
難関校の中学受験、誰が望んでも大変ですが、
特に岩田さんにとっては、「ほかにやりたいことがあっても、受験があるからやれない」
という思いがあるのが伝わってきますね。
またお母さまが、非常に教育熱心だったことから小学校時代はガリ勉で2つの進学塾に通学して、家庭教師を付けるほどでした。
好きな事に没頭できないどころか、あまり遊ぶ暇もない、という状況ですね。
ご両親を恨んでいるわけではなく、この中学受験があったからこそ今がありますからね。
この時の大変さは本当に、小学生の岩田さんにとって過酷なことだったのでしょう。
でも合格なのですからすごいです!
慶應普通部入学後は、最初は東京や横浜の関東の生活になじめなかった、とインタビューでもありましたが、もともと好きだったスポーツを謳歌ながら学校生活楽しんだのです。
慶應義塾普通部の文化祭(労作展とよばれる)では、宮本武蔵の等身大人形を作った岩田さん。
空手部とバスケ部を兼部したのです。
3.岩田剛典の学歴は? 慶應義塾高等学校ではどんな生活?
岩田剛典さんは、慶應の附属高校に内部進学します。
慶應義塾高校(神奈川県横浜市日吉、偏差値69)の男子校です。
こちらも同じく日吉駅ですが、慶應義塾大学のキャンパス側の方に出て、桜並木を通り過ぎて、もっと奥の方にあります。

「塾高(じゅっこう)」と慶應の中では言われているところですね。
系列の女子高である、慶應義塾女子高等学校は略して「女子高」と言いますから、それと区別する為もあるのだと思います。)
さて、この塾高こと、慶應義塾高校一つの学年で18クラスもある男子のマンモス高で
自由な校風。
出身有名人も多いのです!
例えばタレントでは俳優の石坂浩二さん、
元アイドルで俳優の櫻井翔さん、小出恵介さん、
政治界では、石破総理大臣、中曽根康隆さん、
経営者ではトヨタの豊田昭夫。
部活動は必須ではないですが、岩田さんは塾高でラクロス部に入り、スポーツマンを続けていきます。
ラクロスを高校からやっている学校は少ないので、
慶應に入って経験できる特徴の一つでもあるかもしれません。
中学時代よりちょっと校則がゆるくなったりして、自由に過ごせる時間も増え、
ラクロス部の引退後は、以前から関心の高かったヒップホップ系のダンスに明け暮れます。

ヒップホップはこのころからなのね、
好きな事に謳歌していていいかんじですね!
そうでうね。
岩田剛典さんは、中学にはいるまでは我慢したことが沢山あったと思いますが、
慶應の受験に成功し、大学までつながっているので、大学受験をするために、青春を奪われることはなくてよかったですよ、と思います。
3.岩田剛典の学歴は 慶應義塾大学法学部へ
慶應義塾大学の法学部政治学科に入学します。(神奈川県横浜市日吉、偏差値67.5)
内部進学ですが、法学部政治学科は人気の学部のため、希望すればだれでも入れるというわけではありません。
人数制限のため選抜があり、成績上位の学生しか進めないため、
岩田さんは学生時代からしっかりと勉強も取り組んでいたことが分かります。
岩田さんは、成績はある一定以上をおさめていたんではないかと思います.
しかし、岩田さんの学生生活は学業だけには終わりませんでした。
彼の人生を大きく変える出会いがあったのです。
大学で出会った「ダンス」という情熱
岩田さんはダンスサークル「Dancing Crew JADE(ジェード)に所属します。
JADEは慶應大学の中でも歴史ある有名サークルで、OB・OGの中には芸能界やダンス業界で活躍する人も多い、本格派の団体です。
そこで岩田さんはダンスにのめり込み、仲間とステージに立つ経験を重ねるうちに、表現することの楽しさに気づきます。
のちのインタビューでは「自分の居場所を見つけた」と語るほど、ダンスは彼にとって大きな存在になっていきました。
大学生活は、勉強とサークル活動の両立で忙しい毎日。
それでも「本当にやりたいことは何か」を問い続け、安定した進路ではなく「表現者として生きる道」を選んだのです。
この選択が、のちに三代目J SOUL BROTHERSやEXILEとしての活躍につながっていきます。
仲間と切磋琢磨しながらステージに立ち、「表現する楽しさ」を見つけたことが、のちの人生を決定づけたのです。
岩田剛典さんは、三代目EXILEへのオーディションにでないか?とスカウトを受けることになるのです。
EXILEのオーディションへ挑戦
転機となったのが、2010年に行われた「EXILE新メンバーオーディション」。
大学卒業直前に挑戦したこの舞台で、岩田剛典さんは見事に合格。
同年7月に三代目J SOUL BROTHERSのメンバーに決定し、華々しく芸能界デビューを果たしました。
学生時代に培ったダンスへの情熱と努力が、人生を大きく切り開いた瞬間だったのです。
安定よりも「夢」を選んだ決断
もし大学時代にダンスと出会わなければ、岩田さんは大企業に勤めるエリートビジネスマンや、実家の跡取りとして歩んでいた可能性もありました。
インタビューでも、「大学4年生のときには大手企業の内定をもらっていたけど、親の反対を押し切ってダンスの道に進んだ」と話されていました。
しかし彼は「安定よりも夢」を選び、リスクを恐れず挑戦したからこそ、今の人気と成功につながっています。
慶應義塾大学での学びと仲間、そしてダンスとの出会いが、岩田剛典さんの人生を決定づけたと言えるでしょう。
5.岩田剛典の学歴 まとめ 努力と選択の連続だった
以上、岩田剛典さんの学歴についてまとめてきましたが、
岩田剛典さんの学歴は、努力と選択の連続だったのです。
皆さんはどう思われましたか?
名古屋から慶應へ進学し、厳しい中学受験や勉強漬けの小学生時代を乗り越えてきた岩田剛典さん。
大学ではダンスに出会い、自分の夢を追いかける決意を固めました。
「安定を捨てて夢を選んだ」その強い選択こそが、今日の岩田剛典さんの輝きをつくった原点です。
学歴の裏側にある努力や葛藤を知ると、彼のパフォーマンスや表現力がさらに魅力的に感じられますね。
👉 さらに岩田剛典さんの「実家や家族関係」についてはこちらでまとめています。

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