「つかこうへい」という名前に胸を熱くする人も多いのではないでしょうか。
鮮烈な台詞と疾走感あふれる舞台で、日本の演劇界に大きな足跡を残した
演出家・劇作家のつかこうへいさん。
2026年2月には、つかさんの代表作『熱海殺人事件』が紀伊國屋ホールで上演予定となっており、再びつかさんに作品に注目が集まっています。
本記事では、つかこうへいさんのプロフィールや心に響く名言、
娘さんを含めてつかさんに影響をうけた俳優たちのエピソードの情報まで
幅広くご紹介します。
1.つかこうへい 演出家としての教え 独特な方法
つかこうへいさんといえば、独自の演出スタイルで有名なのが「口立て(くちだて)」。
「口立て」は、役者さんに台本を渡してセリフを覚えさせるやり方とは大きく違います。
前日までに台本は渡され、俳優さんたちが事前に覚えるのですが
そのあと稽古に入ると、実際に、つかこうへいさんが役者さんに俳優さんに対して、
「このように言ってみて」「こう言って」などその場で、直接役者さんとの対話形式で
指示をだして、セリフを覚えるように仕向けたりするやり方です。
これがつかこうへいさんの演出のやりかた、「口立て」です。
また、つかこうへいさんに育てられた大物の俳優の一人、風間杜夫さん。
風間さんは、つかこうへいさんの「口立て」について次のように語っています。
「つかこうへいさんは、『芸人というのは、思いもよらない声を出すんだぞ!』
と言ってたんです。つかさんがまず、演出として正解の声を出すんです。
そして、私たち芸人は常にその「音マネ」をしていたんです。」
結果的に、4割ぐらいは台本通りということですが、6割ぐらいはこの「口立て」によってセリフが演出されます。
つまり稽古に出るたびに、セリフが大幅に変わっていくのです。
つかさんが、芝居の流れを見ながら頭に浮かんだ台詞を口頭で伝え、役者はその台詞を瞬時に暗記して復唱し芝居を続ける。

それって大変なんじゃん!
たしかにそうです。
一方通行ではなく、双方向な、インタラクティブな稽古だと思います。
なんだか現代的、というか、当時からすると、先進的ですよね!
もしかして、舞台の初日と、最終日(楽日)では、演出が違う、セリフが違う、なんてことがあったのではないでしょうか?
つかこうへいさんは、どうやって、そうした演出のやり方を習得したのでしょう?
次の章では、つかこうへいさんのプロフィール、経歴、どんな演出家であったのか、
もう少し具体的に見ていきたいと思います。
2.つかこうへい 演出家としてのプロフィール
つかこうへいさんのご出身や、生い立ち、どこで演劇を学ばれたのでしょうか。
①つかこうへい 演出家 プロフィール
つかこうへいさんは (本名は金 峰雄:キム・ボンウン)
日本の演劇界に多大な影響を与えた演出家・劇作家です。
日本名は金原峰雄(かねはら・みつお)さんです。
さて、つかこうへいさんですが、
生まれは1948年の4月24日で
旧福岡県嘉穂郡嘉穂町に在日韓国人2世としてうまれます。
上にお兄さん、下に弟、妹がいる、4人兄妹の次男でした。
福岡の嘉穂町で過ごし、高校は立山田高等学校を卒業。
高校時代は、新聞部長を務め、「反逆者」というタイトルで
社会問題を風刺するようなコラムを書いておられました。
そのころから、記事を書くことに興味があり、部長を務めるほどだったのですね!
大学から上京して、慶應義塾大学の文学部哲科に入学。
慶應では「三田詩人」に参加して、詩人としてスタートしていきます。
このころから、ペンネームが「つかこうへい」だったのです。
さて、この「つかこうへい」というのは、「いつか公平に」という在日差別に対する強い思いが込められていると伝えられています。
つかさんの気持ちの深さを感じますね。
さて、詩人の活動と並行してい行っていたのは、アルバイトの塾講師。
そこで思わぬ大きなチャンスをつかみます。
塾の生徒から「芝居の戯曲をかいてほしい」という依頼があり、それにこたえていくなかで、演劇、舞台の世界に関心が高まっていかれたのです。
次第に、劇団を作ることを決意するので、慶應大学は中退。
おおきなきっかけとなったのが早稲田大学の劇団サークル「暫く(しばらく)」です。
「劇団しばらく」は向島三四郎・知念正文)にて、当時早稲田の大学で、
後に俳優になる平田満・三浦洋一に出逢います。
🌟🌟
つかこうへいさん、お名前からてっきり純ジャパニースだとと思ってましたが、
実は、韓国の血筋の方だったのですね!
文学を突き詰めていかれるのかと思いきや、劇作家という、さらに熱量の高い思いが
こみあげてきた、つかこうへいさん。
慶應から早稲田に行ったのは、おそらく演劇を極めるために、
早稲田での方が、劇団の環境が整っていたからですね。
さて、つかさんは2010年に62歳で肺がんでお亡くなりになります。
ただ、なくなられて10年以上たっても、つかこうへいさんの作品は、
生き続けています。
次に代表作のご案内をします。
➁つかこうへい演劇 代表作は
代表昨に「熱海殺人事件」や「飛龍伝」などがあります。
スピード感あふれる台詞回しと、社会性のあるテーマで観客を魅了してきました。
1974年に、つかこうへいが25歳のとき、「つかこうへい劇団」を設立し、
1974年に「熱海殺人事件」で岸田國士戯曲賞を受賞し、当時の若手俳優たちにとって憧れの存在に。
「熱海殺人事件」が出世作となり、いずれは愛娘の愛原実花さんを出演させるほどです。
ほかに、ストリッパー物語、蒲田行進曲があり戯曲『飛龍伝’90 殺戮の秋』も。
「熱海殺人事件」、「飛竜伝」、「蒲田行進曲」などは映画にもなっています。
飛龍伝’90 『殺戮の秋』については、ヒロイン役の女優は(以下敬称略)
初代は、富田靖子、2代目で牧瀬里穂、3代目石田ひかり、
4代目が内田有紀、5代目で広末涼子、6代目に黒木メイサ、7代目は桐谷美玲。
飛龍伝2020は、欅坂47の菅井由香ですね。
なんとシリーズが多いことでしょう!
女優さんをかえて、何度も作品が上映されているとは驚きました。
風間杜夫さんは、つかこうへいさん仰ってたことを次のように話しています。
「『役者が変わるとキャラが変わる』と、つかこうへいさんは考えていました」
つかこうへいさんが目をつけ、彼の演劇メソッドにそって舞台に立たせると、
役者だけでなく、もとモデルさんやアイドルであっても、
誰もが役者として開眼し、大きな転機となっているようです。
2026年2月、紀伊國屋ホールで「熱海殺人事件」と「売春捜査官」が二本立てで再演される予定ですが
つか作品の魅力は、今なお色あせることがありませんね!
つかこうへいさん劇団で、初期の頃は、劇団に所属していた風間杜夫や平田満、三浦洋一、そして根岸季衣などが、またたく間に役者として花開き、映画やテレビへと巣立っていくわけですが、
後期に向けては、今でも絶好調の阿部寛が「熱海殺人事件」でゲイの刑事部長役を、
(もともとゲイの役ではないのですが、そのように変更した)
元SMAPの草彅剛が「蒲田行進曲」のヤスを演じたり、とさまざまです。
同じ「熱海殺人事件」でも、時代にあった内容を魅せられるよう
配役をゲイにしたてたり、
いろいろと工夫をされていますね。
2.つかこうへい 演出家 名言集:心に響く言葉たち
さて、つかこうへいさんがよく言うことば、どんなものがあったのでしょう?
今は亡きつかこうへいさん。
過去のことばを調べていくと、かっこよすぎて、演劇のセリフなのか、
ご本人がいったことなのかよくわからない事もあります。
つまり、どちらにしてもかっこいいわけです。
今回は、ご本人おっしゃったことば、それを纏めていきたいと思います。
①つかこうへいさん名言1 「二流ほど威張りたがる」
こちらは、どの俳優さんが言われたのか、という記録はないです。
だって、あまり言いたくないですよね、自分が二流だと思われていたとしたら..
この言葉の意味を考えていくと、
まだこれからの人(芸能界でいえば、本人が思うように売れていない方)に限って、
自分は頑張ってる過程、努力をみとめてほしい、つまり承認欲求が大きい。
承認欲求が多ければ多いほど、自分をどうしても大きくみせたくなる、みせてしまう、
その結果威張ってしまう。
つかこうへいさんは、このようにして、当時はまだまだの俳優や
モデル出身の人でも奮い立たせて、目覚めさせてきたんだと言えます。
➁つかこうへいさん名言 2 それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃ
「人を愛したり信じたりすることは今いちばん惨めな勇気を必要としている時代。
それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃいけない」(「あの人に会いたい」より)
なんだか深いですね。
「人を愛したり、信じることは惨めな勇気」ここにどんな意味しているのでしょうか?
なにかとんでもない新しいことにチャレンジする事に比べれば、
人を愛したり、信じることは、一見当たり前のようなことですよね。
人間の根源にあたる部分に対して、勇気がいる時代」と言い切ったのは、何かに失望しているからなのか、
それとも、勇気をもって、自分の中にある壁を取り払おう、という意味もあるのでしょうか。
これは真の意味は、もちろん、つかこうへいさんの中にあります。
どの様に受け取るかは、私たち次第、という事もあると思います。
ただ、2025年という現代を迎える私たちにとって、
戦争各地で紛争がやまなかったり、貿易戦争ですら起こりそうであったり、
AIの発達が著しく、人間は人を信じる言葉むずかしくなっている、
それでも愛していかなければならない。
これはまるで未来を予言するような言葉になっていると、私は思います。
③ つかこうへいさん名言3「俺たちは賭けに勝ったな」阿部寛
売れっ子俳優、阿部寛さんもまた、つかこうへいさんに魅了され、引き抜かれた方の一人です。
つかさんの作品「熱海殺人事件」で、ゲイの役を演じたことで、大ブレイクします。
もともとの作品で、ゲイの人物ではなかったのですが、面白くするために、つかさんが工夫して変えたそうです。
ゲイ役をつとめるにあたり、つかこうへいさんに厳しいことをと言われながら
毎日厳しい稽古にはげみました。
「もっと狂え!」
稽古に通うなからで、毎日「もうできません」と言って帰ろうと思っていたようですが、
そうはならなかったのです。
つかこうへいさんに出会うまでの阿部寛さんは、
もともとモデルご出身ということもあり、かっこよいい外見やスタイルから、二枚目役に起用されることがほとんど。
演技が評価されることはなかなかなかったようです。
さらに、阿部さんよりも若年のモデルさんに二枚目役が流れてしまうこともあり
「このままでは俳優としてはやっていけない、終わりがちかいかも。」と阿部さんはと思っていたそうです。
ただ、つかこうへいさんとの出会いで、「熱海殺人事件」に出演がきまり、
稽古を成し遂げていきながら、
実際に公演がはじまると、観客たちは、一皮も二皮もむけた阿部寛さんに出会うことになります。
後日わかったことでが、実は、つかこうへいさんも、阿部寛さんを起用することについては、なんとも花開くか、わからいので周囲には反対されていたそうです。
周囲の大反対を押し切って、阿部さんと成功をおさめたつかこうへいさんは、
その思いを次のように語っておられます。
「俺たちは賭けに勝ったな」(オンラインより)
この言葉を、つかこうへいさんから聞く事で、
阿部寛さんも、とても嬉しく、
「私のは俳優の人生は今始まったといってもいい」、と語ったそうです。
確かに、今となっての阿部寛さんは、外見とは裏腹なコミカルな役もとても様になっていて、名演技俳優ですよね!
「賭けに出る」という言葉に変わっていますが、ここにも勇気があったはずです。
つかこうへいさんが、勇気を出して阿部さんを信じた、
阿部寛さんも勇気をもって、つかこうへいさんを信じ、お互いに愛で繋がっていた。
ここに、阿部寛さんの成功を、つかこうへいさんが支えてきた事の成功が見られると思います。
3. つかこうへい 演出指導に影響をうけた俳優たち
つかこうへいさんの舞台に参加し、大きく飛躍した俳優は数多くいます。
これまでに語り切れていない方については、以下にまとめていきます。
代表的な名前としては、風間杜夫さん、平田満さん、根岸季衣さんなどが挙げられるでしょう。
風間杜夫さんは、劇団の傾向場でつかこうへいさんに、「お前の芝居には垢がついている」
と言われたことがきっかけで、つかこうへいさんの演出の教えにはまっていきます。
他に内田有紀さん。
内田有紀さんも歌手活動を休止して、舞台励んでいる際「なぜ肌を黒いのだ、照明があたらないだろう!」とつかこうへいさんに、日焼けしていることを咎められたりもしたそうです。
それを乗り越えての今です。
確かに内田有紀さんも、その美しさから、誰もが羨むような役柄が多かったですが、
「最後から二番目の恋」あたりから、精神疾患のある女性をとても上手に、味のある演技でなさっています。
つかこうへいさんのおかげなのでしょう。
他に、石田ひかりさん、石原さとみさん、広末涼子さん、小西真奈美さん、黒谷友香さん、
石原良純さん、生駒直子さん、稲垣吾郎さん、酒井敏也さん、草彅さん。
気になる方は調べてみてくださいね。
また、つか作品をきっかけに演劇の道へ進んだ若手俳優も多く
2026年の再演に向けて、再び注目が集まっています。つかこうへいが残した「人を育てる力」は、今でも脈々と息づいているんですね!
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