山本貴大は山本海苔店の社長!経歴や学歴は?30代で継いだ挑戦とは?

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山本海苔、といいましたら、あの鮮やかなオレンジ色や、緑色の、まあるい缶にはいっているパリパリのお海苔です!

「山」は一つだけですよね、「山本山」(山が2つ)の海苔屋さんとは異なります。

2025年11月、創業170年以上の老舗「山本海苔店」が、日本橋の再開発に伴い本店を移転しました。

その節目を率いるのは、7代目社長・山本貴大(やまもと・たかひろ)さん(1983年生まれ)。

30代でバトンを受け取った彼は、伝統を守るだけでなく、“変化の兆しを敏感に察知する力”を重視しながら、新しい時代の「老舗のあり方」を模索しています。

今回は、山本貴大社長の生い立ちや経歴、そして若き経営者としての挑戦に迫ります。

1.山本貴大氏は山本海苔店7代目社長に就任|若きリーダーが継いだ伝統

山本海苔、といいましたら、あのオレンジ色の丸い缶にはいっているパリパリのお海苔です!

江戸時代の嘉永2年(1849年)創業。

海苔を「贈答文化」として根づかせた老舗であり、
今も皇室や各界の方々から愛され続けています。

そんな老舗の“のれん”を30代で継いだのが、七代目・山本貴大さん。
1983年生まれ、慶應義塾大学を卒業後、
一度は外の世界で社会経験を積み、その後に家業へ戻られたといいます。

就任当初は「七代目」という重みへの不安もあったそうですが、
山本さんはそれを“使命”として受けとめました。

「伝統を守るというより、“伝統を次へ進める”のが自分の役割だと思っています。

そんな言葉に、若い世代の経営者らしい覚悟が感じられます。

2.山本貴大氏が継いだ創業160年の老舗・山本海苔店とは?

山本海苔店は、東京・日本橋で160年以上続く老舗。

初代・山本平三郎が、当時はまだ珍しかった“板海苔”の製法を広めたことから始まりました。

江戸時代の終わりから明治・大正・昭和・平成、そして令和へ。

変わりゆく時代の中で、“贈る文化”を守り続けてきたその姿勢は、まさに日本橋の象徴です。

2024年11月には本店が新しい店舗へ移転。

江戸の伝統を残しつつも、現代的な照明と木の温もりを感じる店内は、
「老舗が未来へ進む」ことを体現したような空間になっています。

 

3. 山本貴大の経歴・学歴|慶應出身、次世代リーダーとしての軌跡

山本貴大さんは1983年生まれ。

東京・日本橋の老舗の家に生まれ育ちました。

慶應義塾幼稚舎から高校、大学まで慶應義塾で学び、
卒業後はすぐに家業には入らず、三菱UFJ銀行での経験を経て山本海苔店へ。

この“外での経験”が、のちの経営判断に大きく影響しています。

とくにITやマーケティング分野の視点を活かし、
オンラインショップの強化やブランドリニューアルを推進。

伝統の味と品質を守りながらも、
若い感性で「今の時代に必要とされる老舗」へと変えていったのです。

 

4. 山本貴大 老舗を未来につなぐ、“変化を察知する力”

山本貴大さんが大切にしているのは、「危険を察知する力」。
この言葉には、老舗を預かる経営者としての直感と、
時代を読む冷静さがにじんでいます。

山本さんはインタビューで、
「危険を察知する力を伸ばしたい」と語っています。

それは、目の前の数字や流行だけで判断するのではなく、
“その先にある変化の兆し”を見逃さないための姿勢です。

たとえば、コロナ禍で店舗販売が落ち込んだときも、
いち早くオンライン販売の強化に取り組みました。

「贈り物を通じて感謝を伝える」――
そんな山本海苔店らしさを、デジタルの世界にも広げたのです。

老舗が長く続く理由は、「変わらない」ことではなく、
「変化を受け入れる柔軟さ」にあるのかもしれません。

山本さんはそのことを、静かな言葉と確かな行動で示しています。

5.山本貴大 「変化を恐れない老舗」という新しい伝統へ

山本海苔店の七代目・山本貴大さんは、
“伝統を受け継ぐ”だけでなく、“次の時代へ橋をかける”リーダーと言えるでしょう。

慶應で学んだ自由な発想と、老舗のDNAを融合させながら、
現代のライフスタイルに合わせた「新しい海苔文化」を発信しています。

危機を察知し、変化を恐れず、伝統を未来へつなぐ。
その姿勢は、まさに現代の経営者の理想像のように思います。

日本橋の新天地にて、これからもおいしいお海苔、更なるご発展を応援しております。

 

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