政治家の中でも「英語がうまい!」と話題になることが多い河野太郎(こうの・たろう)さん。
海外の記者会見でもスムーズに受け答えをして、冗談を交えることもあります。
「どうやったら、あんなふうに話せるの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
じつは、河野さんの英語力の裏にはアメリカ留学での本格的な学びと努力がありました。
今回は、河野太郎さんの大学時代や留学の背景、そして“英語力の源”についてわかりやすくまとめてみたいと思います。
1.河野太郎の大学はどこ?慶應からアメリカのジョージタウン大学へ!
河野太郎さんは1963年1月10日生まれ、(2025年現在は)神奈川県の平塚出身です。
ひいおじいさんは、神奈川県議会議長の河野治平さん
おじいさんは元副総理の河野一郎さん、お父さんは元衆議院議長の河野洋平さん。
まさに根っからの“政治一家”に育ち、第四世です。
神奈川で育ち、中学から慶應義塾中等部にはいり、高校は慶應義塾高校、大学もそのまま慶應義塾大学経済学部へ進学します。
でも、そこで河野さんはある決断を下します。
それが――慶應を中退してアメリカへ留学すること。
河野太郎 大学からなぜアメリカへ
★河野さんはインタビューで、こう語っています。
「日本の大学に通っていても、世界がどう動いているのかは見えにくい。」
当時の日本では、海外の大学に“正規入学”する人はまだ珍しい時代。
それでも、河野さんは「自分の目で世界を見て、世界の中の日本を考えたい」と思ったそうです。
目的はただの語学留学ではなく、海外で学位を取って帰ってくるという本格的なチャレンジでした。
河野太郎 父の反対押し切ってアメリカ留学
河野さんは、アメリカへの思いを、お父様である河野洋平さんに熱弁したところ、
「お前の言う事はわかったが、慶應をでてから、大学院でアメリカに行けばよい」と言われました。
しかし、それでも河野さんは諦めませんでした。
お父さんには、「太郎は自分の実力や英語力などを過信しているのではないか」と思われていたのかもしれません、
「そんなに行きたいのであれば、今度のアメリカ大使館でのパーティーに同行してよいので、英語力を試してみろ」となります。
すぐにアメリカ大使館のパーティーいけるって、すごすぎですね。
やっぱり違う河野一族、華麗なる一族ということです。。
そこで、出席しているアメリカの方々ほぼ全員に、「父親に反対されていているのですがアメリカに留学したいのです」と英語で話しかけてアピールし続けます。ところがほぼ全員反対したとか(参考文献「日本を前進させる」河野太郎)
河野洋平さんには、「全員に反対されるならおもしろいな、むしろそれはやってみるべきチャレンジなのかもしれない。今行ってみろ!」ということで賛同をえられたそうです。
河野太郎さん、若い頃からすごく熱意があったのですね。
お父さんの洋平さんもさすが、偉大なる父です。
河野太郎さのような方が育つ家ですから、人間力高いです。
2.河野太郎の大学時代 アメリカ留学での経験とは?
河野さんが進学したのは、アメリカの首都ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学。
ほかにもいくつか合格をされたようですが、あまり都心部や繁華街に近すぎる大学だと、
誘惑があり勉強しなくなってしまうかもしれない、ということで、こちらの郊外にある大学を選んだのです。
外交官や政治家を多く輩出している名門校で、国際関係の分野では世界トップクラスのジョージタウン大学。
アメリカ大統領だったビル・クリントン氏も、この大学の卒業生なんですよ。
留学初期は“英語の壁”に苦戦
大学入学まえに1年間は、アメリカの高校で語学力を上げる事に専念しました。
それでも、ジョージタウン入学した当初は、授業についていくのが本当に大変だったそうです。
現地の学生たちは当然ながら英語が母語。
政治や経済の専門用語が飛び交う授業で、議論もスピードも速い。
でも河野さんは、辞書を手放さず、夜中まで勉強を続けたといいます。
「英語を話せるようになるまで、寝る時間を削ってでも勉強した」
と本人も語っていました。
“努力型の帰国子女”というより、“根性型の留学生”。
この時期の積み重ねが、今のあの自然な英語力につながっているんですね。
政治の現場を体感する
ジョージタウン大学は、ワシントンD.C.という立地の強みを生かして、政府機関や国際機関とつながりがあります。
学生でもインターンとして政治の現場を体験できるのが特徴。
河野さんも現地で政策や国際関係の仕組みを肌で学び、
「日本の中だけで見ていた政治とはまったく違う世界がある」と感じたそうです。
この経験が、のちの彼の発信スタイル――つまり「世界基準で話せる政治家」につながったのかもしれません。
3.河野太郎の大学時代からの英語力が高い理由 留学中の努力と現在の実力
今でこそ通訳なしで国際会議に出たり、海外メディアの取材を受けたりする河野さん。
その英語力は地道な努力の積み重ねで築かれたものです。
英語は“目的”ではなく“道具”
河野さんはよく、「英語はツール(道具)にすぎない」と話しています。
「英語を話せることが大事なんじゃない。世界の人と対話できることが大事なんだ」
つまり、“話せる”ことよりも“伝えられる”ことに重きを置いているんですね。
そのため、彼の英語はネイティブのように滑らかでありながら、言葉選びがシンプルで伝わりやすい。
外交や記者会見の場でも、ユーモアを交えつつ核心をつく話し方が印象的です。
留学経験が支えた発信力
アメリカでの学生生活は、言葉だけでなく「自分の意見を持つこと」の訓練にもなったそうです。
ジョージタウンでは「どう思う?」「なぜそう思うの?」と問われ続ける。
その中で、論理的に考え、自分の意見を英語で伝える力が自然と鍛えられていきました。
「話す力」は、まさに“経験の数”から生まれた実力だったのです。
4.河野太郎大学 まとめ|挑戦する姿勢が英語力を育てた
河野太郎さんの英語力の高さは、単なる語学の才能ではなく、
慶應を中退してまで海外へ飛び出した勇気と、
現地で努力を重ねた経験の賜物です。
今では国際舞台で日本を代表して発信する政治家のひとりですが、
その根底には「世界と本気で向き合いたい」という若い頃の情熱がありました。
留学当初は苦戦の連続だった河野さんが、今や通訳なしで海外の首脳と対等に話す姿を見ると、
“努力すれば世界は広がる”ということを、改めて感じさせてくれますね。
参考文献「日本を前に進める」(河野太郎)

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