政治の体制などについては、とやかく申せる立場ではない私ですが、
小泉純一郎さんといいますと、髪型がトレードマークでもあり、時に
「ライオンヘアー」よばれたこともある、元首相です。(第37第内閣総理大臣)
タレントの小泉孝太郎さん、政治家の小泉進次郎さんのお父様でもありますね。
さて小泉さんたちのお父さま(小泉純一郎氏)は、
あの長めの銀髪を左右に書き上げたような独特の髪型がライオンの鬣(たてがみ)に例えられたのですよね。
時々は「ライオンヘア」とも呼ばれた独特の髪型は、首相に就任当時から多くの国民に親しまれ、今でも印象に残っている人が多いはず。
この記事では、小泉純一郎氏の髪型もなぜ人気だったのか、その背景やイメージ形成の理由を探ります。
1.小泉純一郎の髪型が人気なのは、きれいに維持されていたから?(散髪回数が多い)
さて、髪型がとっても似合っている小泉純一郎氏ですが、散髪頻度もハイペースだったということがわかっています。
それが小泉氏に似合って、きれいな髪型をいい感じに維持できた理由なのかもしれません。
歴代首相の髪型もいろいろですが、散髪回数が多い人と、そうでない人がおられ
月間平均をだすと、散髪頻度が月に2回で比較的多いという話題になった岸田文雄(きしだ・ふみお)元首相。
実はその僅差で、散髪頻度が高い2位が、小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)元首相でした。
ということで、月に平均2回の散髪で、きれいに整えることができたから
清潔感もあって、小泉氏に似合うスタイルを維持できていたということです。
岸田文雄さんについての内容は別の記事で書いていますので、詳しくはそちらの記事に譲りますが、
他の歴代の首相は多い方でも月に1回ぐらいである中
忙しいのに月2回のペースを保てるのはすごいと思ってしまいます。
予定の管理がしっかりしているというか、よっぽど切りたいという気持ちをもっていらっしゃる、という事だと思われます。
ということで、散髪散髪頻度が高いということについては、小泉氏の特徴のひとつだといえましょう。
小泉純一郎 岸田文雄との髪型に対する考え方の比較(同じ点は)
実は小泉純一郎氏も、岸田首相と同じく、「こまめに整えるタイプ」だったと言われます。
清潔感を保つため、短いスパンで散髪に通うスタイルは、政治家としての見られ方を意識したもの。
いつ人に会っても困らない髪型が、「ダンディ」「清潔」「エネルギッシュ」といった印象を強める要因となりましたね。
同じく散髪頻度が高い事で話題になった岸田文雄氏の髪型に関する記事はこちらで書いています。

2.小泉純一郎の髪型が人気なのは、地元の行きつけサロンで生まれたものだったから
ライオンヘアの生まれはどこ
小泉氏のトレードマークである”ライオンヘア”は、実は小泉純一郎氏の地元、横須賀の行きつけ理容室で生まれたのです。
そのヘアスタイルは、小泉純一郎氏のご自宅から歩いて30秒ぐらいにある「中込理容店」(バーバー中込)にて、1980年代に編み出されたのです。
こちらの理容店と小泉家は、親子2代のおつきあいがあり、ライオンヘアとも呼ばれるこのスタイルは、当時オーナーであった中込さんと、その奥様と、小泉氏の相談のもと考案されたのです。

中込理容店が、ライオンヘアの生みの親だったのね!
ライオンヘアの誕生場所が中込理容店。
息子である小泉孝太郎さんも、子どもの頃から通っていたという、小泉家御用達のお店。
孝太郎さんは、父親の髪型について語る場面で、番組で次のような紹介をしていました。
小泉元総理の髪を担当していた中込昭雄さんは亡くなってしまっているが、2001年の取材映像では中込さんは「昨日のニュースでね、(小泉総理は)“私この頭スゴい気に入ってます”って言ってましたよ。“女心(女性ウケ)は微妙です”って」とうれしそうに話している。(エンタックス)
なぜこのヘアスタイル(ライオンヘア)に決めたのか
小泉氏を良く知っておられる中込さんご夫婦と、そして小泉氏の3人で考案されたヘアスタイルということですから
小泉氏の顔の特徴、髪質への理解はもちろん、性格や性格といいますか、キャラクターにもご理解があったと思います。
なので、似合うスタイルがどういうものか、手入れ含めてどんなものが小泉さんにマッチするのか、とても深くわかっていらしたのではないでしょうか。
小泉孝太郎さんも、スタジオで次のように語っています。
「僕の子どものころ、父親ってビシッとした7:3分けなんですよ。ある時いきなりパーマをかけて、あのヘアスタイル。なるべくセットをしないで、朝起きて、時短も含めてですよね、楽な方がいいと、髪形は。パーマだと楽ですよね。中込さんと話してあのヘアスタイルっていうのは出来上がった」「中込さんはうちの父親の細かいリクエストを全部わかってた人です」
小泉純一郎氏が若いころは、7:3だったのですね。
髪型セット時間を時短したかったのですね。
ライオンヘアは、くせ毛を生かされているのかとと思いましたがパーマもかけていらっしゃるなのですね。
たしかにパーマにしたら楽になることはありますね、パパっと(整髪料を)ちょっとつけてすぐ仕事に行けるわけですからね。
たしかに、小泉純一郎さんは、政治家として駆け出しの若い頃、横須賀から世田谷の福田邸に秘書の仕事で通っていたのです。
4時に起床、5時半の電車にのっていた(ウィキペディア)
早起きですが、朝出るまで、わりと時間がかかっています。もしかしたら、
きっちりとした髪型にするために、セットに時間がかかって苦労されていたのかもしせん。
髪型セットのについても時短をしたかった、というリクエストをしたところ、くせ毛を活かしたように見えるパーマという結論に至ったのでしょう。
一方で、小泉純一郎氏の髪型について、理容師であり政治家髪型評論家の間では、
「モーツアルト風ナチュラルセンターパート」(政治家髪型評論家ザンギリ大平(オオダイラ)
とも呼ばれています。
確かに分け目は真ん中で、モーツアルト風です。べートーウェン風なのかもしれません。
髪型評論家のザンギリ大平さんは、髪型の特徴を次のように語っています。
小泉氏は、実はお顔が細長いので、横毛をすきっり短くしてしまうと顔の長さが強調されやすくなる。そうする馬っぽくなってしまうので、横毛を残して、爆発風の髪型にすることでバランスを取っている、とても素晴らしいいいアイディアです。
きっちりしたスタイルよりは、パーマを活用して爆発にしたほうが、顔の長さとのバランスもいいというわけですね。
手間ぬけて、顔の輪郭にもあっている、有難きスタイルだということですね!
行きつけヘアサロンはどこ?横須賀?総理公邸の近く?
似合っているヘアスタイルを発見できた小泉氏。
小泉氏ご自身もライオンヘアの維持には気を遣っていたようです。
ヘアスタイルが確立した後は、仕事が多忙を極めると、なかなかご自宅にかえってから散髪、という事も難しくなってきましたよね。
そんなときは、日中散髪できるように、総理官邸近くの老舗理容室で1ヶ月に2回通い続けた。かつては連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサー元帥も訪れた店だ。(ニュース47)
「誰に切ってもらうか」を重視する姿勢が徹底していたのです。
信頼するスタイリストだけに任せるなどしていた様子ですね。
このヘアサロンですが、住所や過去の実績の関係から、「理容室村儀」であると考えられます。
政治家の「顔」は髪型でもある。そんな信念が地元愛とともに息づいています。
3.小泉純一郎の髪型人気な理由は、ライオンキャラに合ったスタイルだったから 名言も紹介!
鋭いまなざしと勢いある話しぶりで知られた小泉氏。
その外見の象徴が、ふわりとボリュームを持たせた”ライオンヘア”でした。
総理大臣時代の様々な小泉純一郎氏には、名言といえる、強さを感じる様々な事ががありました。
すさまじい抵抗に恐れをなしちゃいかん。抵抗勢力が私の元気の元だ。批判されるからこそ元気が出る。
私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ
人間を動かすのは、計算じゃありません。
目先のことに鈍感になれ。
新しいストレスが来ると古いストレスを忘れてしまう。これが私のストレス解消法。
小泉純一郎
山を越え谷を越え、一度は谷底に突き落とされたけど、国民が生き返らせてくれた
人は他に頼らず、何事も独力で行うことによって自分の尊厳を保つべきなのです。そして、そうした一人一人が独立した生計を立てることによって、一国というものも独立するのです。
つまり、一身独立して一国が独立する、ということです。そのためには、まず努力・向上心によって自らの身を立てていかなくてはなりません。
エネルギッシュな芯の強さとともに、冷静な一面と、
国民に感謝もわすれないでいて、言葉でいってくださる。
これは信頼できることを感じさせる言葉多いですね。
人気が出る理由でもあるでしょう。
なんとも信念のある、強いライオンを象徴するかのようです。
特に、最後の「一身独立して一国が独立する、ということです。そのためには、まず努力・向上心によって自らの身を立てていかなくてはなりません。」
この「一身独立して一国が独立する」は、福澤諭吉のことばにもあります。
戦時中、個人の主体性や気概が、国の独立と繁栄の基盤となるという考え方で、これは『学問のすゝめ』で提唱されました
小泉純一郎氏は、福澤諭吉が創立した慶應義塾の出身ですので、少なからず影響を受けているのかもしれませんね。
kのように、小泉氏の、髪型は単なる見た目ではなく、「強さ」「信念」「個性」を体現する表現手段でもあったのではないかと思います。
「自分の信じる道を行く」という名言にも通じるそのスタイルは、まさに小泉流リーダー像を映しだしていました。
小泉純一郎のプロフィールを少しご紹介
さて、小泉純一郎氏は1942(昭和17)年1月8日生まれ、出身地は神川県横須賀です。
祖父もお父様も政治家というお家柄でしたが、小泉純一郎氏が生まれた戦後ですので、
経済状況はそれほどよくないという苦労をよくわかっているので、当時から、今でも質素倹約でおうちの中には何も置いていないぐらいなのです。
神奈川県立横須賀高等学校(偏差値66)に通い、当初東京大学を目指していましたが、慶應義塾大学の法学部法律学科に入学。(偏差値67.5)
1969年、ロンドン大学に留学中、お父様が急死されて帰国。後を継ぐかたちで、
第32衆議院委員総選挙に神奈川2区から自由民主党として立候補。
そこは落選してしまいますが、1972年12月10日から2009年7月21日まで、衆議院選には12回連続で当選されました
内閣総理大臣にの期間は、2001年4月26日~2006年9月26日。
ほかにも農林水産大臣、外務大臣、構成大臣、郵政大臣の経験もあり。
政界には、のちに総理になる福田赴夫の秘書としてスタート入りし、
福田氏から政治家としての薫陶をうけます。
横須賀の自宅からから福田邸のある世田谷まで4時間に起床して5時半の電車で通っていたのはこのころの話です。
小泉純一郎さんは、福田氏からも「あいつまもし大物になったらとんでもない大物になる」があったくらいなのです。
まとめ
小泉純一郎氏の、風を受けても乱れないあの”髪”は、まさに彼の信念そのものを象徴していたと感じます。
岸田氏が、清潔感で調和を体現するタイプなら、小泉純一郎氏は、自然体で”自分らしさ”を貫くタイプ。
どちらも「髪型を通して生き方を語る」人物と言えるでしょう。
小泉純一郎氏の髪型は、ただ個性的というだけでなく、小泉氏の生き方そのものを映し出していました。
”風をうけても乱れない”その髪は、逆風の中でも揺るがない信念を象徴しているようです。
岸田文雄氏が清潔感と誠実さで「調和」を体現するタイプなら、小泉純一郎氏は、自然体のカリスマ性で「突破力」を体現したタイプ。
どちらも、自らの髪型を通して”生き方”を語る人物と言えるでしょう。
岸田文雄元首相についての髪型や散髪頻度にまつわる詳細はこちらで書いています。

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