「親切」/「深切」(しんせつ)ってなに?親切の語源、意味、親切な人とは?

「人に親切にしよう」「困っている人がいたら助けてあげよう」
と子どもの頃から伝えられてきている人が多いのではないでしょうか?

でも子どもの頃は純粋にでもそのようにしてきたことでも

大人になると親切のつもりでしたことが、かえって悪い結果を生むことになったな、

と感じたりしたこと、ないですか?

本当の親切とはなんでしょう?

今回は、親切の語源、意味をいまいちど確認しながら、

親切について一緒に考え、現代の人間関係を友好に保てるきっかけになればよいな思います。

1 親切とは?親切の語源、意味

①親切の語源、親切の意味

昔NHKテレビで『親切』の語源に関する短い番組がありました。

私も以前から『親を切る』が何故『親切』になるのかな?

漠然とした疑問を持っていましたのでついつい見てしまいました。

放送によると親を切るのであれば漢語の文法から言って「切親」であると言う。

例えが悪いがなるほど『切腹』や『切土』等目的語が後ろに来ている。

「親」=「親しい」「身近に接する」という意味で、
「切」=刃物を直に当てるように「身近である」「行き届く」“心から、ひたすら強く”という意味もありますよね。
つまり、身近に寄り添い、行き届くようにすることが「親切」の意味であるとのこと。

また、思いいれが深く切実であることの意味では「深切」が用いられ、漢語ではこの意味で用いられることが多かったため、古くは「深切」の字が常用されていたとのこと。

「深切」のほか、当て字として「心切」の漢字も使われていたようです。

漢字の成り立ちとは面白いものですね!

➁「親切」にいつからなったのか?

以前は「深切」と書いていていたが、「親切」に変わってきたということで

いつごろからでしょうか?

1876前後ではないかと考えられます。

NHKの放送では、福沢諭吉が『学のすゝめ(学問のすすめ)』で「親切」と書いたのがきっかけで現在に至ったと言う説が有力なのだそう。

学問のすゝめ(がくもんのすすめ)は1~17編まであり
初版が出版されたのは1872年(明治37)。
17編が完結したのは1876年(明治41)。
実際に本を確認してみましたが、

口に怨言を発し、面に不平を顕(あら)わし、身外みな敵のごとく、天下みな不深切なるがごとし。(学問のすゝめ 第16編)

16編では「深切」が使われています。

無言なれども親切らしき人と言い、こわいようなれどもあっさりした人と言うがごときは、あたかも家族交際の有様を表わし出して、和して真率なるを称したるものなり。(学問のすゝめ 第17編)

17編になると「親切」に変わってきました。

時代とともにかわってきますね。

学問のすゝめについては、別の記事で書いています。

さて、福澤諭吉と言えば、別の本もたくさんあります。

その一つに戦後日本の道徳教育の元となった本があります。

戦後多くの小学校で読まれていました。

その名は『童蒙おしえ草』(読み方:どうもうおしえぐさ)
(1872年 福沢諭吉)です。

この昔の本の現代語訳をした岩崎弘先生によりますと、

この道徳本『童蒙おしえ草』の元ネタはイソップ物語や西洋の道徳的な本をあつめたイギリスの「モラル・クラス・ブック」。

当時の英語の『モラル・クラス・ブック』を日本語訳して、『童蒙おしえ草』という題名にして、当時の日本に紹介したものだそうです。

イギリスの児童文学本と、日本の道徳教育には親和性がありそうです。

次の章では、イギリスの児童文学のクマのお話をよんでいきましょう!

2.親切な人とは?親切の連鎖?物語が教えてくれる親切

親切な人といえば、イギリスの児童文学作品で有名な

礼儀正しく、親切心に溢れた紳士的なクマとして愛されているクマのパディントン。

あら「親切な人」ではなく「親切なクマ」というわけなのね。

そうなのです。

でもこのクマは人間のことばを話し、周りの人々と関係性を構築していますね。

パディントンは、世界中で愛されるクマとして、文化的なアイコン的存在。

パディントンは、イギリスの文化を象徴する存在として、世界中で知られているのですので、
今回お話を取り上げたいと思います。

「親切はめぐりめぐる」クマのパディントン マイケルボンド

ある日、ロンドンに住むクマのパディントンはよく通う骨董屋のブルーバーさんのところを訪れました。

ブルーバーさんは少し寂しそうな顔で、「この犬の置物には本当は姉妹がいたんだ。でも、いつのまにかどこかへ行ってしまってね」と話します。

大切にしていたペアの片方を失ってしまったその思い出に、パディントンは静かに耳を傾けます。

そのときパディントンのコートのボタンが取れてしまっていたことに気づいたブルーバーさんは、「それなら直してあげるよ」と言って、親切に留め具をつけてくれました。

パディントンはとても感謝し、帰り道には「今度はぼくが何かしてあげたい」と思います。

でも、親切を求めている人はなかなか見つかりません。

そんなとき、スーパーボールを落として困っていた友人のトックに出会います。

少し迷いながらもボールを拾って渡し、「今度は君が誰かに親切にしてね」と伝えるパディントン。

そこから不思議な連鎖が始まります。

トックはカリーさんを助け、カリーさんはポッズさんを助け……親切はどんどん広がっていきます。

数日後、パディントンは警察官ウェルズさんの荷物を手伝い、その中からなんと、ブルーバーさんがずっと探していた“犬の置物の姉弟”を発見!

めぐりめぐった親切が、思いがけないかたちでブルーバーさんの元に帰ってきたのです。

親切は、返してもらうためではなく、ただ渡していくもの。でも、どこかでまた誰かを笑顔にして、めぐりめぐって自分に戻ってくる。

そんなことを教えてくれるエピソードですね。

親切はめぐりめぐる、の意味からわかること

皆さんはどう思われたのでしょうか?

パディントンのお話のように、「人に与えた親切は忘れておく」というぐらいでいられると

親切がおせっかいにならないですむかもしれません。

一方で、「人から受けが親切は忘れないでおく」

これを守れたら、「恩を仇で返す」ということにはならないと思います。

お話の中では、親切は誰かにわたしていくものであるように、

自分が受けた親切を忘れないで、誰かに渡してあげることで

他のいろいろな人がハッピーになっていました。

また、自分が受けた恩をしっかり覚えおくこと、これは親切との上手な付き合い方をする上で大事かと思います。

「親切」を考えたことで、よりいっそう丁寧で気持ちの良い生き方に繋がると良いです。

 

まとめ

「親切」に親を切るの意味はない。
語源は「親」=「身近に接する」という意味で、
「切」=刃物を直に当てるように「行き届く」“心から、身近に寄り添い、行き届くようにすることが「親切」の意味
かつて思いいれが深く切実であることの意味では「深切」が用いられたが、1876年頃から親切に変わってきた。(福沢諭吉の「学問のすゝめ」で「親切」が使われるようになったことがきっかけである説が濃厚)

 

本当の親切のかたちは、日本の道徳に影響を与えたイギリスの児童文学からも読み取れる
「自分が受けた親切は忘れない」自分が受けた恩は忘れずにいることは、幸せな生き方につながる

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