福澤諭吉の「親切・思いやり」違いは?子どもにもわかりやすく簡単に!

突然ですが、親切と思いやりってどう違うの?と思いませんか?

または小学生ぐらいの子どもに尋ねられたら何と説明したらよいのでしょう?

尋ねられたのに答えにまってしまったり、

答えても、結局どう違うの?など切替されてしまうと、私も固まってしまいますから、

そのような方がいるなら私もよく気持ちが分かります。

そんな状況を回避するため、

今回は、近代日本を築く上で欠かせない人物であった

明治時代の偉人、福澤諭吉の考えもみながら、ひも解いていきたいと思います。

人生や、家族の人生をより豊かにするために、偉人の考えが役立つと良いと思います。

1.親切と思いやりの違いをわかりやすく簡単に

まず親切ってなんでしょうか?

親切については、別の記事に書いております。

「思いやり」がある、というのはどういうことでしょうか?

いずれも人に対する優しさとして使われる言葉であると思います。

今回は、この二つの違いを考えながら、ではどうしたらいい?

分かり易くまとめていきたいと思います。

①親切の意味、思いやりの意味、

偉人の話を読むまえに、言葉の意味をもう一度辞書で調べてみました。

親切=相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。又その有様(weblio辞書)

思いやり=思いやり(おもいやり)とは、他人の気持ちを理解し、その人の立場や状況に配慮する心の持ち方を指す言葉である。他人の感情や状況を尊重し、その人が困難や苦痛を感じているときに援助や励ましを提供する行動も含まれる。(weblio辞書)

 

➁親切と思いやりの違いを簡単に

福澤諭吉の話を読む前に、意味を踏まえてた上でまとめてみました。

親切とは、人のためになる行為を指し

思いやりは、自分の思いや気持ちを誰かに差し向けること。

他人の身になりその人を思うこと。

自分以外の人の立場になって考え、気遣い、気持ちを共有する心を指す

そのため、時に思いやりがあるが故に厳しいことを言う人がいたり

親切で気が利くけど、本当は自分の事しか考えていない人がいたりするのではないでしょうか。

皆さんはどう思いますか?

2. 親切・思いやりの違い 福澤諭吉らが選んだわかりやすいお話

さて、「親切」や「思いやり」については、道徳系の本がたくさんありますが

中でも、日本の道徳教育の元となった本があります。

戦後、日本が国の立て直しをするなからで、多くの小学校で読まれることになった本

その名は『童蒙おしえ草』(読み方:どうもうおしえぐさ)(1872年 福沢諭吉)です。

『童蒙おしえ草』を簡単に紹介すると、現代語訳をした岩崎弘先生によりますと、

福澤諭吉が数多く書いた本の中で、子ども向けの本は10編あり
『童蒙おしえ草』は、中でも特に子どもたちの自立精神を育むことができるもの。
この道徳本『童蒙おしえ草』の元ネタはイソップ物語や西洋の道徳的な本をあつめたイギリスの「モラル・クラス・ブック」。
『モラル・クラス・ブック』(英語でかかれたもの)を日本語訳して、『童蒙おしえ草』という題名にして、当時の日本に紹介したものです。
①(童蒙おしえ草 ひびのおしえ 現代語訳 岩﨑弘)

イギリスの道徳と、日本の道徳教育には親和性がありそうです。

お話をまとめてみました。一緒によんでみましょう!

①イギリス人の親切『童蒙おしえ草』 福沢諭吉 現代語訳 岩﨑弘

これは福澤諭吉が『童蒙おしえ草』の中で紹介したお話。

岩﨑弘さんが現代語訳した内容を、短くまとめてみました。

18世紀半ば、あるイギリス人がイタリアの町トリノを訪れたときのこと。

街角で兵隊の行進を眺めていた彼の前で、若い士官が足を踏み外し、帽子を落としてしまいました。

周囲の見物人は笑いましたが、そのイギリス人だけは静かに帽子を拾い、丁寧に士官に手渡したのです。

ふたりは言葉を交わすことはありませんでしたが、その落ち着いたふるまいに、士官も周囲の人々も深い感銘を受けました。

やがてその話は上官に伝わり、彼は予想もしなかった歓待を受けることになります。

特別な身分の人ではなくとも、誠実なふるまいひとつで、その国中で尊敬を集めたのです。

これは「礼儀ある親切」が、時を超えて人の心を動かす力をもつということを示す実例でもあります。

このことから、言葉は通じなくても、心の優しさやは通じる、ということが分かりますね。

➁「ジョン・ハワード」の収容所の改革『童蒙おしえ草』 福沢諭吉 現代語訳 岩﨑弘

お話の二つ目。思いやりのこと。

ジョン・ハワードは、人を助けることに一生を捧げ、やさしい心をもったイギリスの紳士。

若いころ戦争でつかまり、フランスの牢屋(ろうや)で寒さと空腹に苦しんだ経験があり、

「つかまった人も人間らしくあつかわれるべきだ」と思うようになりました。

イギリスに帰ったハワードは、ある事に気が付きます。

牢屋の中を見てまわると、ほとんどの場所で人がせまい場所にとじこめられいて
食べ物もなく、病気になっても手当もされずにいることです

ハワードは1773年ごろから努力を重ね、最初は故郷の近くの牢屋だけから改革をはじめ

国の偉い方との話し合いの末、「出るときの手数料を安くすること」「病人を助けるしくみをつくること」などの新しい法律をつくらせました。

そのあとも、他の国にも行き、牢屋のようすを見て、国ごとに直してほしいことを伝えました。多くの国が彼の話を聞いて、改革に動きました。

さいごは、ロシアで病気にかかり、たすけた人のために命を落としましたが

このように、一人の思いやりと行動が、たくさんの命を救い、世界を少しずつ良くしていったのです

 

③ポーランドの将軍コシューシコの馬 『童蒙おしえ草』 福沢諭吉 現代語訳 岩﨑弘

この記事での最後のお話。

ポーランドの将軍コシューシコは、心のやさしい人物として知られていました。

ある日、親しい僧侶にお酒を届けるため、少年ゼルテゥーナに大切な馬を貸して使いに出します。

無事に用を終えた少年は、帰ってくるなりこう言います。

「今度この馬を貸してくださるときは、ご主人のお財布も一緒にお願いします」。

不思議に思った将軍が理由を尋ねると、少年はこう答えました。

道中、乞食(こじき)が施しを求めると、馬は必ず立ち止まり、何かを渡さない限り一歩も動こうとしなかった、と。

馬のいつもの飼い主が、何か渡しているから、その日だけ少年にかわっていても、いつも飼い主といるときのように、立ち止まったというわけか

馬は主の思いやりの心を受け継いでいたのです。

この話は、思いやりが人だけでなく動物にも伝わることを教えてくれます。

親切と思いやりの違いは?福沢諭吉の考えから読み解く

3つのお話をよむと

もちろん、現代と時代背景や国が違いはあるものの

現代に置き換えてみても同じことは言えるとおもいました。

①親切とは

①の福沢諭吉の本にある「イギリス人の親切」は、相手を怒らせないで礼儀を尽くすこと、そう伝えるといいかもしれません。

礼儀を行うというのは、少し面倒かもしれませんが、少しでも自分のワガママをおさえれば、他人を怒らせないですむものです。そのような考え方があります。

電車で席をゆずるなどもそうです。

➁思いやりとは

➁の福沢諭吉の本にあるジョン・ハワードの収容所の話では、人の不幸を助けることの思いやりが描かれる

相手の身になって、人を助けることがとても良いことだった。

でも実はもっと大切なことが描かれています。

それは、助けるとき、どのようにするのがよいか、を考えることがその思いやりになるということ。

助けることで、「その人が独立できるように援助する」ことになるのか、です。

例えば、一時的に人にものを与えても、その人が働かないで、怠ける悪い心を助長させるのなら、与えないほうがいいですよね。

自分が与えていくものは、本当にその人のために良くて
害悪が少ないことなのか?といったんその点をよく考えていくことが、
思いやりを持つ心になる。

皆さんはどう思われますか?

③のコシューシコの馬の話はどうでしょうか。

これは、コシューシコが乞食になにかものを与えてあげていた心、

ということは、私は「親切さ」の方にも感じました。

もし現代におきかえたら、この行為が相手独立を援助することにならないことのほうがおおいのではないか、と思ってしまったからです。

ただ、一方で、「馬」が飼い主が一時的に少年にかわっても、いつもの教えを守っていた、

つまり馬はコシューシコ(飼い主)から独り立ちしていけるようになっていた、

これは思いやりの心のように思います。

みだりその人へ物などを与えるより、その人が自分から独り立ちできるようにお世話する、

これがよい方法であって、思いやりに繋がるのだ、と思います。

以上
親切と思いやりの違いについて、道徳のお話を参考に
考えてきました。

皆さんはどう思われたでしょうか?

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