| 千住博の妻や家族とは?「助け合って」歩んだ夫婦と画家人生 |
日本を代表する画家・千住博(せんじゅ・ひろし)さん。芸術一家の長男としても知られていますが、千住博さんの妻はどんな方なのでしょうか。
世界を舞台に長年作品を生み出し続けてきた千住さん。その活躍の背景には、妻や家族との暮らし、そして幼い頃から培ってきた「体力」と「続ける力」があったのではないでしょうか。
今回は、あまり語られてこなかった妻の存在とともに、慶應義塾幼稚舎での学びにも注目しながら、千住博さんを支えてきたものを考えてみたいと思います。
千住博の妻はどんな人?家族を支えた存在とは
千住博さんは、父・千住鎮雄さん、母・文子さんのもとに生まれました。
弟さんは作曲家の千住明さん、
妹さんはヴァイオリニストの千住真理子さん。きょうだい3人がそれぞれ芸術の世界で活躍する、まさに「芸術一家」です。
千住博さんの妻は、どんな方なのでしょうか。
世界を舞台に活躍する千住さんですが、意外にも妻について多くを語っているわけではありません。
そのため、妻の詳しいプロフィールや職業などは、ほとんど知られていません。
ただ、千住さん本人の言葉の中には、妻の存在がふっと見える場面があります。
2020年、新型コロナウイルスによってニューヨークが厳しい状況にあったときの対談では、
「僕や妻は助け合って、元気にやってます」
と話していました。
また千住さんは、長年ニューヨークを拠点に制作を続け、現地にはアトリエだけでなく、家族と暮らす家も構えています。
世界的な画家というと、ひとりアトリエにこもり、作品だけと向き合っているような姿を想像してしまいます。
けれど、その日常のそばには「妻」と「家族」がいたのですね。
もちろん、妻が具体的にどのように千住さんを支えてきたのかは、ご本人たちが語っていない以上、私たちには分かりません。
それでも「妻と助け合って」という千住さん自身の言葉からは、夫が一方的に支えてもらうというより、人生をともに支え合ってきた夫婦の姿が感じられます。
そして、千住さんの画家人生を見ていくと、その道のりは決して華やかな成功ばかりではありません。
思うような作品が描けない。
自分の未熟さに打ちのめされる。
それでも、また次の一枚を描く。
千住さんは、そんなことを何十年も繰り返しながら、世界的な画家となりました。
では、なぜ千住博さんは、そこまで挑戦を続けることができたのでしょうか。
そのヒントになるのが、千住さんが大切にしている体力という考え方です。
そして、この「体力」という言葉をたどっていくと、幼い頃に学んだ慶應義塾幼稚舎の教育とも、どこか重なって見えてきます。
次は、千住博さんを支えてきた「続ける力」について見ていきましょう。
千住博の妻と歩んだ画家人生|「体力」と続ける力
千住博さんの言葉の中で、とても印象的なのが「体力」です。
世界的な画家が大切にしているものと聞けば、「才能」や「感性」「創造力」といった言葉を想像しませんか?
ところが千住さんが語るのは、もっとシンプルな「体力」なのです。
千住さんほどの画家でも、自分の作品を見て「まだ描き足りなかったのではないか」と思うことがあるそうです。
うまくいかず、自分自身に打ちのめされることもある。
そんなときには家に帰って、まず寝る。
そしてしっかり眠って体力が戻ってくると、「もう一回やってみよう」という気力も戻ってくるのだといいます。
「根性」というと、つい「苦しくても頑張る」「気合で乗り越える」と考えてしまいます。
けれど千住さんの場合、その根性を支えているものこそが体力なのですね。
そして、ここでもう一度考えてみたいのが、妻や家族の存在です。
千住さん本人が「妻がこう支えてくれた」と具体的に語っているわけではありません。
しかし前述したように、ニューヨークで暮らす中で「僕や妻は助け合って」と話していた千住さん。
何十年にもわたって作品を生み出し続けるためには、本人の体力だけではなく、疲れたときに帰る場所や、日常をともにする家族の存在も大切だったのではないでしょうか。
これはあくまで千住さんの言葉や歩みからの推測です。
けれども、「体力を回復させ、また作品に向かう」という日々を長年繰り返してきた千住さんにとって、妻と築いた家庭もまた、画家として走り続けるための土台のひとつだったのかもしれません。
そして、千住さんの「続ける力」は、作品の数にも表れています。
千住さんは40年以上にわたって、膨大な数の作品を描き続けてきました。
「質の高いものを作りたいから、量を減らす」のではありません。
何枚も何枚も描く。
その中で失敗し、考え、また描く。
そうした「量」の積み重ねの中から、ようやく納得できる「質」が生まれてくると考えているのです。
一流の人というと、最初から迷わず正解を選び続けてきたように見えてしまいます。
しかし、千住さんの歩みはむしろその逆です。
慶應義塾幼稚舎から慶應で学びながら、高校時代に日本画と出会い、大学はそのまま慶應義塾大学へ進むのではなく、東京藝術大学を目指しました。
しかも、現役ですぐに合格したわけではありません。
2年間の浪人を経て、東京藝術大学へ進学しています。
そして画家になってからも、思い通りにいかない作品と何度も向き合ってきました。
それでも、描くことをやめない。
うまくいかなければ休み、体力を戻して、また筆を握る。
その繰り返しが、やがて世界へとつながっていったのでしょう。
こうして千住さんの人生をたどってみると、一流になるために必要なのは「失敗しないこと」ではないのだと気づかされます。
むしろ大切なのは、失敗しても「もう一回」と戻ってこられること。
そして、その力は本人だけで完結するものでもないのかもしれません。
幼い頃にどんな土台をつくったのか。
大人になってから、どんな人と日々をともにしてきたのか。
千住さんの場合、その両方に目を向けてみると、慶應義塾幼稚舎での学びと、妻や家族との暮らしが見えてきます。
次は、この「体力」の原点とも重なって見える、幼稚舎の教育について考えてみたいと思います。
千住博の妻の支えと慶應幼稚舎の学び|一流を支えたものとは?
千住博さんは、慶應義塾幼稚舎から慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校へと進みました。
幼い頃から慶應で学んだ千住さん。
その原点をたどっていくと、慶應義塾の創設者・福澤諭吉が大切にしていた、こんな言葉に出会います。
「先ず獣身を成して後に人心を養う」
少し驚くような表現ですが、簡単にいえば、まず丈夫な身体をつくり、その上で知性や心を育てていくという考え方です。
幼稚舎では、勉強だけではなく、身体を動かすことも大切にされています。
なぜ、身体なのでしょうか。
それは単に、運動が得意な子どもを育てるためではないのでしょう。
走ってみたら、思ったより速く走れなかった。
友達に負けて悔しい。
何度やっても、できない。
それでも、もう一度やってみる。
身体を使った経験には、机の上の勉強だけでは得られない「思い通りにならない経験」がたくさんあります。
そして、その経験の中で子どもは、少しずつ自分自身と向き合っていくのではないでしょうか。
ここで思い出されるのが、千住博さんの「体力」という言葉です。
千住さんもまた、うまくいかないときに「気合で頑張り続ける」とは言いません。
疲れたら眠る。
体力を回復させる。
そして、また作品の前に戻ってくる。
一見すると当たり前のようですが、40年以上にわたって第一線で作品を生み出し続けることを考えると、この「また戻ってくる」という力こそ、千住さんの強さなのかもしれません。
もちろん、千住さん自身が「幼稚舎で学んだから、今の自分がある」と、この「体力」について直接結びつけて語っているわけではありません。
それでも、
まず身体があり、その上に心や知性が育つ。
そんな幼稚舎の教育と、大人になった千住さんが語る「根性を支えるのは体力」という考え方には、どこか通じるものを感じます。
そしてもう一つ、千住さんの歩みから考えさせられることがあります。
それは、教育とは、子どもの人生の「正解」を先に決めることではないということです。
千住さんは、慶應で学びながら、そのまま慶應義塾大学へ進む道を選びませんでした。
高校時代に日本画と出会い、2年間浪人して東京藝術大学へ。
それは、用意された道を歩くのではなく、自分自身で進む道を選んだということでもあります。
そして、その先には何十年にもわたる画家としての人生がありました。
何枚描いても満足できない。
失敗する。
また描く。
その積み重ねを続けた先に、現在の千住博さんがあります。
こう考えると、子どもの頃に本当に育てたい力とは、将来困らないために「正しい道」を教えてあげることだけではないのかもしれません。
自分で考えること。
自分で選ぶこと。
うまくいかなければ、また挑戦すること。
そして、それを続けられる身体と心を育てること。
千住博さんの人生を見ていると、そんな教育の大切さが見えてくるように思います。
また、千住博さんの妹さんである千住真理子さんも慶應幼稚舎から慶應大の出身です。
芸術家として一つしかない才能を発揮すること、(自分の力をのばす)しかし他者とも協力しあって共生していく、その先に一流の活躍がある、
そんな学びができる慶應幼稚舎での教育は、千住さんたちの人生の軸になっているのではないかと思います。
そして、ここでもう一度、この記事の最初に戻ってみましょう。
千住博さんの妻は、どのように夫を支えてきたのでしょうか。
その具体的な答えは、ご本人たちが多くを語っていない以上、分かりません。
ただ、千住さん自身が妻について「助け合って」と表現していたことは、とても印象的です。
幼稚舎で育まれたかもしれない、何度でも立ち上がるための身体と心。
自分で選んだ日本画の道を歩み続けた、本人の努力。
そして大人になってから、その長い人生の日常をともにしてきた妻や家族。
どれか一つだけで、世界的な画家・千住博さんがつくられたわけではないのでしょう。
けれど、どれほど強い「体力」を持つ人であっても、何十年も一人きりで走り続けることは簡単ではありません。
そう考えると、表舞台ではほとんど語られることのない妻の存在もまた、千住博さんが長い画家人生を歩み続けるうえで、欠かすことのできない存在だったのではないか――。
もちろん、これは公表されている事実から一歩踏み込んだ推測です。
それでも、「僕や妻は助け合って」という千住さん自身の短い言葉からは、世界的な画家の華やかな経歴の後ろにある、夫婦の日常が少しだけ見えるような気がします。
一流の人を支えるものは、特別な才能だけではない。
幼い頃に培った土台があり、自分自身の努力があり、そして人生をともに歩む人がいる。
千住博さんと妻について調べてみると、そんな「人が長く力を発揮し続けるために必要なもの」まで考えさせられます。
千住博さんの妹さんである千住真理子さんについては、こちらで書いています。

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