中村江里子の実家と母や父|銀座十字屋を支えた家族と、その素顔

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元フジテレビアナウンサーで、結婚後はパリで輝き続け、現在はイタリア・ミラノに移住している中村江里子(なかむら・えりこ)さん。
最近はテレビではなくユーチューブからそのお姿を拝見できますが。
動画から声を聴いているだけで明るい気持ちになっていきます。
中村江里子さんの凛とした姿
中村さんの「独立自尊」の生きざまもわかります。
それらはどう育まれたのでしょうか?
明治7年創業の老舗「銀座十字屋」の歴史や、四世代が同居した温かな家族の絆、そして深く愛された父との思い出から、彼女の素顔をひもときます!

中村江里子の実家は銀座十字屋|明治から続く母方の家業

中村江里子さんの母方のご実家は、なんと東京・銀座にある老舗「銀座十字屋」。
 現在は国内最大級のハープ専門店や音楽教室で知られていますね!
中村江里子さんのお母様が社長を経て現在は会長。
社長は、中村江里子さんの弟、倉田恭伸さんだそうです。

なんで中村江里子さんの弟なのに苗字は倉田さんなんだろ?なかむらじゃないのか?

確かにそうですね、はっきりとした理由は公開されていませんが、

銀座十字屋の歴史は、明治7年(1874年)まで遡るんです。
始まりは、原胤昭がひらいた「十字屋書肆(しょし)」でした。 これを中村さんの高祖父が引き継ぎました。
最初はキリスト教の聖書や賛美歌本を扱う書店だったんですよ。
やがてオルガンなどを扱い、「西洋音楽を広めて日本の音楽教育に貢献したい」という思いから西洋楽器の輸入を開始! なんと日本初の西洋楽器店として歩み始めたのです。
この伝統ある暖簾(のれん)を戦後の激動期に守り抜いたのが、祖母の倉田槇(まき)さんでした。
槇さんは若くして2人の兄を結核で亡くし、さらに夫も29歳の若さで戦死するという壮絶な悲劇に見舞われました。
当時は「女性は一人で商売ができない」と見なされがちな時代です。 それでも槇さんは「ご先祖さまに申し訳ない」と強い責任感を持ち、女性社長として就任! 孤軍奮闘しながら、銀座の暖簾をしっかりと守り抜いたのですね。

そうか、それじゃあ中村江里子さんの弟は、この倉田さんって人の苗字をとったのかもしれないね。

はい、事情はわかりませんが、そういうこともあるかもしれませんね!

中村江里子の母・千恵子と父・清郎 互いを尊重して家業を支えて夫婦の絆

そんな祖母・槇さんの奮闘と忙しさを見かねて、大きな決断をしたのが父・中村清郎(きよお)さんでした。
清郎さんはもともと、大手商社で活躍する商社マンでした。 結婚後に妻・千恵子さんの実家に同居する「マスオさん」の立場を選んだのも清郎さん自身です。
海外赴任の際も、高齢の曽祖母や祖母を残す妻の負担を考えてニューヨークではなくバンコクを選択。 さらに名古屋転勤の際も、東京の家族を一人にさせないよう単身赴任を選びました。 どこまでも家族思いな方ですよね!
そして中村さんが高校生のとき、清郎さんは大きな決断をします。 40代で安定した大手商社を退職し、義母が経営する銀座十字屋への参画を決意したのです!
母・千恵子さんは「これから子どもにお金がかかる時期なのに…」と最初は不安だったそう。 それでも清郎さんは、黙々と誠実に経営と家族を支え続けました。
普段の清郎さんは、とっても寡黙で照れ屋な性格。 カラオケでも歌わずにタバコをふかし、家族が楽しむ姿を静かに眺めているタイプでした。 でも亡くなった後、友人から「お酒が入るといつも楽しそうに家族の自慢をしていたよ」と聞かされ、家族みんなで驚いたそうです!
そんな寡黙で愛情深い父を、母・千恵子さんも心から愛していましたでしょう。
単身赴任中には、千恵子さんがマニュアル車に子ども3人を乗せ、5時間かけて運転して会いに行ったことも!
お互いを深く尊重し合う、とっても素敵で強い夫婦の絆ですね!

中村江里子 実家での暮らしは? 四世代の温もりと父のがん看病・最後の家族会議とは?

中村江里子さんは、
フランスに行く前(ご結婚後はフランスに移住)までは30年以上実家で家族と暮らしていました
と当時を振り返って楽しそうに語っています。
実際にはどんなご家庭だったのでしょうか?
中村江里子さんが育った実家は、曽祖母・もんさん、祖母・槇さん、両親、そして3人姉弟が一緒に暮らす「母方四世代・7人家族」でした。
まさにアニメ『サザエさん』のような、温かく賑やかな家庭です!
居間には自然と家族が集まり、
子どもたちは高齢の曽祖母や祖母の姿を見ながら育ちました。
人が老いていく過程をありのままに受け入れ、自然と手を差し伸べる優しさ。
これは、この大らかな四世代同居の中で育まれたものなんですね。
また、
小学生のとき戦争を「ばかばかしい」と言った中村さん。
若くして夫を戦争で亡くした祖母から、「戦争で命を落とした人がいるのだから、そんな風に言わないで」と本気で叱られたそうです。
他者の痛みや歴史に心を寄せる深さは、こうした日常の教えから生まれました。
中村江里子さんの経歴はあとの章で少し述べますが、
大学卒業後から、1999年まではフジテレビジョンにアナウンサーとして勤務。
おそらくその時期までは実家暮らしだったのでしょう。
そのあとは夫のシャルルさん出会いときっかけに、フランスに移り住み、2001年にはご結婚という流れです。
しかし、うれしいニュースとは裏腹に、
しかし2005年3月末、家族に大きな試練が訪れます。
父・清郎さんに末期のすい臓がんが見つかり、「余命3ヶ月」と宣告されてしまったのです。
ショックに涙した家族でしたが、「パパのそばで何ができるか」を話し合うため、中村家は何度も家族会議を開きました。
悲しい顔を見せないよう、時にはシャンパンを開けて明るい雰囲気をつくり、父の居心地を第一に考え抜きました。 居間に介護ベッドを入れ、家族全員で交代しながら寄り添ったのです。
そして2005年5月9日——なんとご両親の「結婚記念日」の日に、清郎さんは旅立ちました。
当時パリにいた中村さんも奇跡的に駆けつけることができ、家族全員で見送ることができたそうです。
悲しみを思うと言葉にはなりませんが
全身全霊で家族を愛し抜いた父の存在は、中村さんにとって今も大きな誇りなんですね!

中村江里子さんのご結婚式の時でお父様と一緒に歩かれているお写真がインスタにアップされています。

控え目な紳士!という感じでとっても優しそうでダンディなお父様です。

気になる方はにてみてくださいね!

 

中村江里子の実家時代の生い立ちと学歴|家族の愛と独立自尊の精神からパリへ

中村江里子さんは、幼少期のタイ生活を経て帰国後、母・千恵子さんと同じ立教大学(経済学部)へ進学しました。
大学卒業後はフジテレビに入社し、人気アナウンサーとして大活躍!
フリー転身後の2001年には、フランス人実業家のシャルル・エドワード・バルト氏と結婚し、パリへ拠点を移しました。
現在は3人の子どものお母さんとして、また日仏をつなぐ文化人として素敵な情報発信を続けています。(☆中村さんの夫については別の記事で詳しく述べます)
中村江里子さんの凛とした佇まいや「独立自尊」の生き方。
その根底には、女性社長として伝統を守り抜いた祖母、情熱的に家族を支えた母、情熱と深い愛で家族を包み続けた父・清郎さんの存在がありました。
伝統と深い愛に包まれて育った中村江里子さん。
彼女がいまも多くの人を惹きつける理由は、この温かく力強い家族の物語にあるのではないでしょうか!

まとめ|中村江里子氏 実家|凛とした生きざまを形作った家族の絆

以上、中村江里子さんの「独立自尊」の姿勢と、温かい人柄のルーツをまとめました!

明治7年創業「銀座十字屋」を守った女性たちの誇り:悲劇を乗り越え、強い責任感で伝統を守り抜いた祖母・槇さんの気品と意志。
互いを尊重し支え合った両親の強い絆:商社を辞めて家業を支えた父・清郎さんと、マニュアル車で駆けつけた情熱あふれる母・千恵子さん。
サザエさん風の四世代7人同居で育まれた思いやり:高齢の家族に自然と寄り添い、他者の痛みを思いやる温かな環境。
父のがん闘病で見せた固い結集力:余命宣告を受けても明るさを失わず、家族全員で愛を注ぎ続けた絆。

今も自分らしいスタイルで輝き続ける中村江里子さん。 その輝きの中には、家族が代々紡いできた無償の愛と誇りがしっかり生きているのですね!

最後までお読みくださりありがとうございました!

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